Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

スプリット

『スプリット』 75点

2017年5月21日 東宝シネマズ梅田にて観賞。

主演:ジェームズ・マカヴォイ アニャ・テイラー=ジョイ

監督:M・ナイト・シャマラン

*注意 本文中に本作のネタバレあり

 

 M・ナイト・シャマランの映画は当たりと外れの落差が大きすぎる。しかし、本作は当たりなので安心して観賞してほしい・・・と言えないのが難しいところ。まず『スプリット』を本当の意味で理解し、咀嚼するためには『シックス・センス』、『アンブレイカブル』、『サイン』の全て、もしくはいずれかを観ておかなければならないからだ。

 ストーリーは単純で、ジェームズ・マカヴォイ演じる正体不明の男がアニャ・テイラー・ジョイ演じるケイシーを含む女子高生3人を誘拐・監禁するところから始まる。そこで彼女らは自分たちを攫った男はDID(dissociative identity disorder)=解離性同一性障害、つまりは多重人格であることを知る。複数の人格の中には若い女性、9歳児、デザイナー、屈強な成人などがおり、中には話の通じる人格、上手く利用できそうな人格として現れるものもいるのだが、どういうわけケイシーはあまり動揺を見せず、淡々と状況に対処し、9歳児を上手く騙す手前までは行く。ここに至って観る者は「何故ケイシーはこの状況に対処できるのか」と不審に思うが、巧みに挿入されるケイシー自身の過去のフラッシュバックが徐々にその全体像を現わしてくることで、彼女の冷静さや強かさに納得できてしまう。

 マカヴォイは定期的にカウンセラーと会いながらも、カウンセラーを欺こうとする。その一方で彼女の理解や協力を得ようとする動きも見せるなど、誘拐・監禁と同じく、観る者に疑念を植え付けていく。同時にビーストという人格の出現を予期させるも、カウンセラーは当初、「それはファンタジーである」として受け容れない。一体、このストーリーはどこに向かって進んでいくのか、観客が予測をつけられないままにビーストが出現し・・・

 というのが大筋だが、詳しくは観て確かめてもらうしかない。賞賛すべきは、まず何と言っても複数人格を見事に演じ分けたジェームズ・マカヴォイに尽きる。圧巻なのは物語中盤のカウンセラーとの面談シーンで、数十秒、時には数秒間隔で人格を切り替えてみせるという離れ業を成し遂げた。また終盤にも人格が次々に入れ替わりながら心の声を叫んでいくというシーンは鳥肌もの。またこの時のカメラワークは恐ろしいほど完ぺきな角度とタイミングでマカヴォイの表情を捉えている。練りに練られて撮影されたシーンで、映画製作の時のお手本として取り上げたくなるような名シーンだった。

 ケイシー役のアニャも負けていない。9歳児を巧みに操縦したかと思えば、その9歳児の迫力に圧倒されてしまうのだが、恐怖を飲み込む演技が非常に上手い。恐怖していることを9歳児には悟らせないように、しかし観る者に非常に分かりやすい形で伝えるという、矛盾する演技を堪能させてくれる。またそのシーンで9歳児バージョンのマカヴォイがダンスを披露してくれる。不気味さという点では、劇中随一だ。シャマラン監督に言わせると、死んでしまった人格がそのダンスを通じて蘇ってくることを表現しているとのことで、実に不安を掻き立てるワンシーンに仕上がっている。

 物語の締めには何とデイビッド・ダンが登場し、ミスター・グラスに言及する。この瞬間、あるシャマラン信者は歓喜したであろうし、あるシャマラン信者は茫然自失したであろう。『スプリット』は『アンブレイカブル』の世界のスーパーヴィラン誕生の物語であり、この多重人格男は次回作でアンブレイカブルを体現するD・ダンことブルース・ウィリスとの対決が決定しているのだ。ダンがこの多重人格男に触れた時、一体何を読み取るのか、そして狂人ミスター・グラスは何をたくらみ、仕掛けてくるのか。今から2019年の新作『グラス(仮題)』公開が待ち遠しい。