Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『ペンギン・ハイウェイ』 -異類、異界、そしてお姉さんとの遭遇-

ペンギン・ハイウェイ 75点

2018年8月26日 大阪ステーションシネマにて観賞

出演:北香那 蒼井優 釘宮理恵 能登麻美子 西島秀俊 竹中直人

監督:石田祐康

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以下、ネタバレ?に類する記述あり

 

 『未知との遭遇』が傑作であることは論を俟たない。『E.T.』が傑作であることも論を俟たない。異類との交流は、良い意味でも悪い意味でも常に刺激的である。『銀河鉄道の夜』(猫アニメ版)や『千と千尋の神隠し』のような、異世界への旅立ちも、物語が数限りなく生産され、消費されてきたし、今後も不滅のジャンルとして残るのは間違いない。本作『ペンギン・ハイウェイ』は、こうした優れた先行作品に優るとも劣らない、卓抜した作品に仕上がっている。「アニメーションはちょっと・・・、」という向きや、「夏休みの子供向け作品でしょ?」と思っている方にこそ、ぜひお勧めしたい作品である。

 以下にJovianの感想を記すが、これはもう全くの妄言であると思って読んで頂きたい。おそらく各種サイトやブログで十人十色の感想が百家争鳴していることであろう。何が正しい解釈なのかを考えることに意味は特にないと思うが、この映画からは絶対に何かを感じ取って欲しい。その何かを個々人が大切にすれば良いと心から願う。

 本作は小学四年生のアオヤマ君(北香那)が歯科クリニック受付のお姉さん(蒼井優)という超越的な存在にアプローチしていくストーリーである。ここで言う“超越”とはフッサールの言う超越だと思って頂きたい。この世界には人間の知覚では捉えられない領域があり、それらは全て超越と見なされる。本作で最も超越的なのは、アオヤマ君の目から見たお姉さんのおっぱいであろう。その服の向こう側には何があるのか。もちろん、おっぱいがあるのだが、アオヤマ君にはそれが何であるのか知覚できない。つまり、見えないし嗅げないし触れもしないということだ。しかし、アオヤマ君は科学の子でもある。鉄腕アトムという意味ではなく、自らに課題を課し、科学的に仮説を立て、実験を通じて検証し、成長を自覚するという、大人顔負けの子どもである。そんなアオヤマ君の住む町に、突如ペンギンの大群が現れ、そして消える。アオヤマ君はこの謎にお姉さんが関連していることを知り、さらに研究を進めていく。そんな中、《海》という森の中の草原に浮かぶ謎の存在/現象にも出くわし、同級生のウチダ君やハマモトさんと共同で研究をすることになる。その《海》とお姉さんとペンギンが相互に関連しているというインスピレーションを得たアオヤマ君は・・・、というのがストーリーの骨子である。

 まずはJovian自身がストーリーを観賞して、第一感で浮かんできたのは、CP対称性の破れである。何のことか分からん、という方はググって頂きたい。物語の中盤にアオヤマ君が父親から問題解決のアプローチ方法を教授されるシーンがある。アオヤマ君は忠実にそれを実行する。そして終盤、エウレカに至る。これは京都産業大学益川敏英先生がCP対称性の破れの着想を得た時の構図の相似形である。考えに考えて考え抜いて、もう駄目だ、考えるのをやめてみたら、全てがつながったというアレである。スケールの大小の違いはあれど、誰でもこのような経験は持っているはずである。相似形になっているのは、ペンギンと海の関係が、物質と反物質になっているところにも見られる。《海》は『インターステラー』のワームホールを、どうやっても想起させてくる。であるならばペンギンの黒と白のコントラストはブラックホールとホワイトホールのメタファーであってもおかしくない。川がそれを強く示唆しているように思えてならない。ペンギンという鳥であるのに飛べない、鳥であるのに泳ぎが達者という矛盾した存在は、陰と陽の入り混じった様を思い起こさせる。生物学、動物学が長足の進歩を遂げたことで、鳥類は最も浮気、不倫をする動物であることが知られているが、ペンギンはかなり貞淑な鳥として認識されている。一途な愛情は、アオヤマ君の科学への姿勢であり、将来への希望であり、お姉さんへの憧憬にもなっているように思えるのは考え過ぎか。ハマモトさんがこれ見よがしに見せつける相対性理論の本から、どうしたって物語世界に理数系的な意味を付与したくなる。ましてや原作者は森見登美彦なのだ。その一方で、チェスもまた重要なモチーフとして物語のあちらこちらで指されている。「物理学は、ルールを知らないチェスのようなものだ」という言葉がある。宇宙の中でポーンが一マス進むのを見て、ポーンは一マスずつ進むと科学者は観測の末、結論を出すが、もしかすると我々はまだポーンがプロモーションの結果、クイーンになるという事象を見たことがないだけなのかもしれない。森見は理系のバックグラウンドを持っているが、その作品は常に文系的、哲学的な意味に満ち満ちている。「夜とは観念的な異界である」と喝破したのは、折口信夫だったか山口昌男だったか。お姉さんがアオヤマ君にぽつりと呟く「君は真夜中を知らないのか」という台詞は、「君は異世界を知らないのか」と解釈してみたくなる。事実、本作の指すところのペンギン・ハイウェイは牧歌的な雰囲気を醸し出しつつも、黄泉比良坂の暗喩であるとしか思えなかった。

 おそらく他にもこうした印象を受けた人はいるであろうが、この見方こそが正解なのだと主張する気はさらさらない。本作は、謎の正体ではなく、謎にアプローチするアオヤマ君と愉快な仲間達の交流が楽しいのであり、逆にそれだけを楽しむことも可能なのだ。とにかく凄い作品である。今も思い返すだけで脳がヒリヒリしてくる。原作小説も買おう。『四畳半神話大系』も読み直そう。映画ファンのみならず、ファミリーにも、学生にも、大人にも、老人にもお勧めをしてみたくなる、この夏一押しの怪作、いや快作である。