Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

バトル・オブ・ザ・セクシーズ -性差を乗り越えた先にあるものを目指して-

バトル・オブ・ザ・セクシーズ 75点

2018年7月8日 東宝シネマズ梅田にて観賞

出演:エマ・ストーン スティーブ・カレル アンドレア・ライズボロー サラ・シルバーマン ビル・プルマン エリザベス・シュー オースティン・ストウェル ジェシカ・マクナミー エリック・クリスチャン・オルセン

監督:バレリー・ファリス ジョナサン・デイトン

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 往年のテニスファンならばビリー・ジーン・キングのことはご存知だろう。キング夫人の方が通りがいいかもしれない。USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センターという全米オープンの会場名を熱心なテニスファンなら聞きおぼえがあることだろう。Jovian自身がリアルタイムでテレビで観たことがあり(幼少の頃だが)、なおかつ本作に出てくる実在の人物というとクリス・エバートである。この試合自体をリアルタイムで観た、もしくは結果を知ったという人は、時代というものがどれほど変わったのか、流れた月日の長さよりも、その変化の大きさから受ける衝撃の方が大きいのではないか。この世紀の ≪性別戦≫ は1973年のことだが、日本ではこれに数年遅れて某企業が「私作る人、ボク食べる人」というキャッチフレーズのCMを流していた。この同時代の日米のコントラストはなかなかに味わい深いではないか。

 当時の女子の賞金は男子のそれの1/8。現代のグランドスラムの賞金は男女同額。この格差の是正に乗り出しのがビリー・ジーン・キングその人に他ならない。では、この男女の格差を埋める契機となった出来事は何か。それこそが、バトル・オブ・セクシーズであった。歴史について興味のある向きはネットでいくらでも調べられる。ここからは純粋に映画の感想のみをば。

 エマ・ストーンビリー・ジーン・キングになりきっている。架空のキャラクターを演じるのと、実在の人物を演じるのとでは、役者によってアプローチが異なる。例えば、Jovianは東出昌大を根本的には大根役者だと評しているが、『聖の青春』の羽生善治役は良かった。一方で『OVER DRIVE』の整備工役では、整備する部分では良かったが、兄という部分を演じきれていなかったように感じた。東出はあくまで例であって、東出が嫌いであるというわけではないので悪しからず。エマ・ストーンの何が際立って素晴らしいかは、そのテニスを見れば分かる。ライジングショットやドライビング・ボレーなど、この時代に存在していただろうか?と疑問に感じるショットも2つほどあったが、全体的にテニスが古かった。これは褒め言葉である。ラケットの形状および材質、性能の点からトップスピンがそれほどかけられず、スライス主体のテニスにならざるを得なかった。また、フィジカル・トレーニングや栄養学の知識が現代ほどの発達を見ていなかった時代なので、ベースラインの真上もしくはすぐ後ろあたりでコート全面をカバーしながら、隙あらば一撃で撃ち抜くテニスではなく、チャンスと見ればネットに詰めてボレーでポイントを稼ぐテニスである。今現在、コーチとして活躍している中で、この頃のテニスの名残と現代テニスの萌芽の両方を経験しているのは、ボリス・ベッカーやステファン・エドバーグであろう。もちろん、試合のシーン、特にテレビカメラ視点のテニスのボールはCGだが、それでも『ママレード・ボーイ』のような、どこからどう見てもCG丸出しではないCGが良い。アレは本当に酷かった。あれなら若い役者にしこたまテニス特訓させて、監督が満足できるショットが撮れるまで粘れば良かったのだ。Back on track. エマことビリー・ジーンがもたらしたのは男女の賞金格差解消だけではない。原題のBattle of the Sexes  が意味する性は、男女だけではない。劇中で描かれる女同士の関係とその後のカミングアウトは、かのマルチナ・ナブラチロワに巨大な影響を与えた。そのマルチナ・ナブラチロワの名前を受け継いだのが天才マルチナ・ヒンギス。彼女がライジング・ショットの応酬で伊達公子を圧倒したのを見て、時代の一つの転換点を感じ取ったファンも多かった。そのヒンギスを圧倒したのがヴィーナスとセレナのウィリアムス姉妹であった。この姉妹がテニスにもたらしたのは、パワーだけではなく黒人のアスレティシズムそのものであった。そのことは劇中でも、「テニスに色がもたらされる」という形で表現されていた。この色とはテニスウェアやシューズの色のことだ。今でもウィンブルドンは厳格なドレスコードを維持しているが、全米オープンその他の大会は本当に華やかだ。しかし、テニスが単なるプロフェッショナリズムではなくエンターテインメントに進化し始めたのも実はこの時代だった。他スポーツで同じぐらいのインパクトを残した女性アスリートと言えば、寡聞にしてクリスティ・マーティンぐらいしか知らない。それでも女子ボクシングが男性ボクシング以上または同等に人気がある国というのは韓国ぐらいであろう。そういう意味でも、ビリー・ジーンの残した足跡の巨大さは他の追随を許さない。コート夫人で知られるマーガレット・コートマルチナ・ナブラチロワシュテフィ・グラフらは All Time Great であることに論を俟たない。そしてビリー・ジーン・キングは Greatness そのものである。

 世紀の対決のもう一方の主役であるボビー・リッグスにはスティーブ・カレルをキャスティング。『プールサイド・デイズ』でもきっちりクズ男を演じていたが、今作ではクズはクズでも意味が異なる。ギャンブル依存症で女性蔑視のお調子者、テニスの練習はするものの真摯に向き合っているとは思えない姿勢、二人いる腹違いの息子の片方には見放されるような男である。しかし、このダメ野郎が試合を通じて少しずつ真剣味と情熱を取り戻していく様がプレーを通して我々に伝わって来るのだ。もちろん演出や編集の手腕もあろうが、この役者の本領発揮とも言えるだろう。

 細部にこだわって観るも良し。世紀の一戦までのビルドアップのサスペンスとスリルに身を任せるも良し。テニスファンのみならず、スポーツファン、映画ファン、そして広く現代人にこそ見られるべき作品である。