Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 無限ファンデーション 』 -眩しく暗い青春の一ページ-

無限ファンデーション 60点
2020年4月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:南沙良 原菜乃華 小野花梨 西山小雨
監督:大崎章

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基本的にはTSUTAYAでは旧作か、あるいはキャンペーン割引料金の準新作しか借りないJovianであるが、劇場に行けない昨今、新作料金でDVDを借りるのもありだろう。嗚呼、南沙良・・・

 

あらすじ

内向的な女子高生・未来(南沙良)は、リサイクル工場から聞こえてくる歌声に惹かれ、不思議な少女・小雨(西山小雨)と邂逅する。学校では、未来のスケッチブックに注目したナノカ(原菜乃華)らに誘われ、演劇部に入部する。新しくできた仲間たちとの関係は、しかし、ある時から思わぬ方向へ向かい始め・・・

 

ポジティブ・サイド

全編これ即興というのは、大昔に大学の寮の先輩が出演していた芝居で見たことがある。下北沢だったか。本作には大まかなプロットが存在し、何度かリハーサルもやったらしい。それはそうだ。

 

冒頭で流れてくる西山小雨の「とべフレ」に、未来ならずとも引き込まれるだろう。あいみょん作曲かつ提供の『 さよならくちびる 』の「さよならくちびる」も良かったが、こちらの劇中歌の「とべフレ」も負けず劣らず美しい。いや、俳優ではなく歌手が歌っているだけあって、歌唱力や表現力はこちらの方が上だと言える。『 ロケットマン 』のタロン・エジャートンのように俳優が歌うことで生まれる味わいもある。一方で、本職の歌い手だから出せる味もある。西山小雨の起用は成功である。

 

少女漫画原作の映画とは異なり、青春、もっと言えば思春期の人間関係の暗い面にフォーカスする。友情とは、しばしば閉じた人間関係で、女子のそれは特にそうである。南沙良演じる未来は、いわゆる陰キャから陽キャへと脱皮する。だが、そのことがもたらす波紋の大きさは、この年代にとっては確かに受け止めづらいものだろう。主要キャストたちは、張り詰めた緊張感の中ですらも即興劇を完遂した。こうした映画撮影の技法は、もっと頻繁に採用されてもよいと思う。故・志村けんはアドリブを生み出すのも受け止めるのも名手だったということだが、役者のポテンシャルを発揮させるのも監督や脚本家、撮影監督や照明、音響の役割の一部でもあるだろう。そうした、良い意味での裏方スタッフと役者のケミストリーを最も強く感じさせたのは、やはり南沙良だった。持ち前の動物的な勘で各シーンを彩ったが、それにしてもこの若き女優の鼻水たら~りは、もはや芸術の域に達している。つくづくそう感じられる。

 

「傷つくのが怖い」というのは、なかなか吐露しづらい。しかし、そうした恐れの気持ちを持ったことのない人は圧倒的な少数派ではないだろうか。本作は、そうした人間関係の近さと遠さ、優しさと痛みの両方を思い起こさせてくれる良作である。

 

ネガティブ・サイド

ところどころでシーンのつながりが変であった。特に(悪い)印象に残ったのはスケッチブックを廊下で見せるシーン。「え、そこで切って、ここにつなげる?」という画の移り変わりがある。このあたりは即興劇の技術的な限界だろう。ただ、欲を言えば別の撮影監督ならばどうなっていただろうか、ということ。例えば『 1917 命をかけた伝令 』のロジャー・ディーキンスは絶対に無理だとしても、『 恋は雨上がりのように 』で小松菜奈の魅力を見事にフレーム内に捉え切った市橋織江なら、どのような画の切り取り方をするのだろうか。そんなことを考えてしまった。

 

また語りの力が弱かったのも気になった。特に演劇部顧問の先生にはもうちょっと頑張ってほしかった。屋上での語りは、抒情的でもなく、かといって叙事的でもなく、とにかく薄かった。陽光溢れる屋上で、ある意味で非常にダークな話を語っているのに、そこのコントラストが際立たなかった。

 

この先生自身が実に中途半端な大人であるせいで、部員同士の衝突を和らげる緩衝材になれていない。もしくは、部員間に蓄積されていたマグマの噴出量をコントロールできていなかった。大人の大人たるゆえん、子どもとの違いの一つは、妥協ができるところだ。青春模様、つまりは子どもの子どもらしさを強調させるためには、大人の大人らしさが対極に必要だった。

 

ラストショットは『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』と重複している。大崎監督は、もっと違うビジョンを構想できたはずである。

 

総評

青春映画はアホかというぐらいの勢いで陸続と生産されているが、鮮烈な青春映画というのは邦画には存外に少ない。本作はその数少ない一作である。公開中の『 もみの家 』(観に行っていいのだろうか・・・)もそうらしいが、南沙良は居場所を探し求める少女を演じさせれば天下一品である。韓国語をマスターして韓国映画に出るか、あるいは英語をマスターしてアメリカや英国の映画に進出することを考えてみてはどうか。トップレベルのサッカー選手や野球選手が海外に活躍の場を求めるのは当たり前になりつつある。映画人もそうあるべきだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You are so good at drawing, aren’t you?

「絵、超うまくない?」というセリフの私訳である。絵を描くというのはdrawやpaintという動詞で表されるが、draw = 固いもので描く、paint = 柔らかいもので描く、と理解しよう。鉛筆やペンで描けばdraw、筆やブラシ、もしくは自分の指(finger-painting)で描けばpaintである。英会話スクールのノン・ネイティブの先生の実力を確かめたければ、英検1級だとかTOEIC975点だとかではなく、上のような質問にその場でスパッと答えてくれるかどうかを目安に考えてみてほしい。

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

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『 ココア 』 -甘味を知ってこそ苦みが際立つ-

ココア 50点
2020年3月31日 自宅にて録画鑑賞
出演:南沙良 出口夏希 永瀬莉子
演出:阿部博行

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第30回フジテレビヤングシナリオ大賞なるものがあるらしい。それを14歳にして受賞した俊英がいる。その作品を映像化したのが本作である。Jovianお気に入りの南沙良出演ということで録画していたが、なぜ今まで観ることがなかったのか。単純に忘れていたからに他ならない。では何故思い出したのか。2020年3月4日のNHKの深夜ドラマ『 ピンぼけの家族 』を観ようとしたら録画失敗していたからである。嗚呼、南沙良・・・

 

あらすじ

家にも学校にも居場所がない灯(南沙良)、両親の不倫に苛まされている香(出口夏希)、笑顔を決して見せない志穂(永瀬莉子)の3人の女子高生。生きづらさを感じる彼女たちだが、周囲の人間とのちょっとした交わりから変化が生まれて・・・、

 

ポジティブ・サイド

どことなくビジュアルノベル428 〜封鎖された渋谷で〜 』なテイストが感じられるドラマである。場所が渋谷だからではなく、一見無関係に見えた登場人物たちが、実はどこかでゆるくつながっていてもおかしくないのだ、という感じが実によく似ているのである。

 

南沙良の鼻水たら~りは『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』に引き続き健在である。日本の女優の涙にくれるシーンの極北としては『 万引き家族 』の安藤サクラの落涙か、南沙良の鼻水だろう。

 

表現者としては浦上晟周が良い味を出している。演技に垣間見えるぎこちなさそれ自体もも、演技なのだろう。気になるクラスメイトの女子に猛アタックを仕掛けるところ、無理やり距離を詰めて座ろうとするところ、問答無用でほっぺにキスするところ、それらすべてがぎこちない。ゆえに、かえって迫真性が生まれている。Jovianは高校生の頃、上のような行為のいずれも実行できなかった。リア充爆発しろ渡辺大地と浦上晟周が、南沙良と永瀬莉子を上手く引き立てていると感じた。

 

ココアという飲み物がコーヒーと巧みに対比されている。コーヒーの苦さを美味しいと感じることができるかどうか。そうした羽化前の少年少女たちの物語として、それなりに見ごたえはあった。

 

ネガティブ・サイド

やはりテレビの限界なのか、照明のしょぼさやカメラアングルのバリエーションの乏しさが目立つ。特に目ざとい映画ファンであるならば、渡辺大地の頭上の枝の枯れ葉が、設定上はそれぞれ異なる夜であっても、位置と枚数が全く同じであることに気づくだろう。全く同じことが、川沿いの帰り道のシーンについても言える。大急ぎで撮影しました、ということがほとんどあらゆるシーンから伝わってくる。このあたりのリアリズムが、テレビ映画と劇場公開される映画の一番の違いの一つだろう。

 

主演の一角を担った出口夏希、永瀬莉子ともに表現力に欠ける。発声と表情は、まあ及第か。問題はちょっとした仕草やジェスチャーがあまりにも乏しいこと。敢えて酷評させてもらえれば、学芸会に毛が生えた程度のお芝居。役者を志すなら、年に150本は映画を観て、先達から吸収すべし。

 

本編と全く関係のないCMの愚痴になるが、第一生命のCMに出てくる看護師がナースキャップをつけていた。日本でいまだにナースキャップをつける看護師というのは、漫画かアダルトビデオぐらいにしか出てこないと思っていたが・・・ CM監督の全員がそうであるとは思わないが、もっと現実に対するアンテナの感度を高めてほしい。テレビドラマやテレビ映画の監督や演出家も同様である。

 

総評

CMの存在がこれほどウルサイとは。やはり民放の映画やドラマは観るものではないのかもしれない。ひたすらに内向的な少女のイメージの強い南沙良の、陽キャな面と陰キャな面の両方を楽しむ作品という位置づけにしかならない。案外、男子高校生ぐらいが楽しめる作品なのかな。ただ、女子高生の中には『 スウィート17モンスター 』みたいなのもいるので、奥手な男子諸君はよくよく勉強してから女子にアプローチをしよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Are you a virgin?

「おじさんって、童貞?」の私訳である。処女でも童貞でも、性体験のない者は性別問わず英語ではvirginである。シュワちゃんの映画『 ツインズ 』では、ダメダメ兄貴のヴィンセントが弟ジュリアス(シュワルツェネッガー)に、“Are you a virgin?”と、思わず言ってしまうシーンがある。Jovianはそこで、「ははあ、男もvirginと言うのか」と学んだことをよく覚えている。

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『 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 』 -歴史を総括せよ-

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 60点
2020年3月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:三島由紀夫
監督:豊島圭介

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悪質タックル問題からまんまと逃げきった感のある日大の田中理事長だが、このオッサンが学内で権力を掌握する過程の発端は日大全共闘にまでさかのぼるということは、多くのメディアが指摘した。その全共闘の東大版が本作である。日大・田中理事長は、いわば暴力でのし上がったが、本作は全共闘の弁論、いわば言葉と言葉のぶつかり合いに焦点を当てている。

 

あらすじ

1969年5月、東京大学駒場キャンパス900番教室。保守論壇の大物として君臨していた三島由紀夫は東大全共闘から体制側の人間と見られ、集会に“招待”されていた。暴力を辞さない全共闘の招きに応じた三島は、言論で彼らと渡り合うが・・・

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ポジティブ・サイド

坂道のアポロン 』の時代が、まさにここである。と、したり顔で語ってみても、Jovian自身が当時に生きていなかったのだから偉そうなことは言えない。それでも、人並み程度には歴史に関心を持っている身としては、やはり色々と調べた時期もあったのである。なによりもJovianの母校である国際基督教大学ICU)は、おそらく他の日本の大学よりも学生運動に対するアレルギーが格段に強い。今はどうかは分からないが、少なくとも2000年前後、Jovianがまだ青い大学生であった頃はそうであった。そのことは、当時のICUと他大学のキャンパスの模様を比較してみれば一目瞭然であった。同時期の法〇大学や学●院大学、東京□立大学(当時)のキャンパスには、「総長の辞任を要求する!」だの「学生食堂値上げ断固反対!」だの「サークルにも部室を与えよ!」だのといった、過激(当社比)な立て看板が散見されたのである。学生運動とはつまり、子どもの駄々なわけである。駄々という言葉が酷ならば、若気の無分別と言い換えてもよい。それが時代の機運もあってか、極めて組織的かつ反体制的に盛り上がった。同時期の他国の運動はいざ知らず、日本の学生運動の一番の本質を、Jovian自身はそのように見ている。

 

と私的に総括してしまうと、これは映画のレビューではなく歴史の解釈になってしまう。ここからは、少々真面目に映画をレビューしたい。

 

まず、なぜ今になって三島由紀夫なのか。東大全共闘なのか。そうした疑問が当然に沸き起こる。様々な答えが考えられるが、豊島圭介監督やプロデューサー達の問題意識の根っこに、現代日本における思想と言論の変遷(または変質や変異と言ってもいい)があることは間違いない。元々、右派・右翼とは「体制の維持を是とする集団および思想」であり、左派・左翼とは「体制の変革を是とする集団および思想」を指す。ところが、どういうわけか現代日本では右翼(ネトウヨ)が憲法改正を声高に叫ぶ一方で、左翼(パヨク)が平和主義や基本的人権の尊重をあらためて強調するという奇怪な状況が生まれている。こうした状況の萌芽が、1968~1969年という“内乱の時代”に見つけられるのではないか、というのが本作の制作者たちの主張だろう。そして、それはかなりの程度、的を射ているものと考える。その理由は後述する。

 

本作はドキュメンタリー映画として、非常に上質であり、また秀逸である。三島由紀夫という人物の生涯ではなく、全共闘との討論の場にスポットライトを当てることで、三島の人物像、そして思想の全体像が逆にくっきりと浮かび上がってきた。特にエンターテインメント性が高いと感じられたのは、演劇作家の芥正彦との噛み合わない議論である。文学者の三島は、コミュニケーションを“Not real space, Not real time”でも成立しうるものとして、演出家・劇作家の芥は“Real space, Real time”でしか成立しないものとして議論する。滑稽だ。三島ならば本能的、直感的に芥と自身の立ち位置の違いを冷静に指摘することもできたはずだ。また、芥がとことんまで理論武装して語る言葉の空虚さを突くことも可能だったはずだ。芥の思想の根幹にあるのは、マルクスの“歴史”やサルトルの“対自存在”への批判的意識である。三島は反知性主義の根源を、知性の極みにあると見るか、知性の底辺にあると見るか、それについては分かりかねると述べる。だが、芥を見る限りにおいては、反知性主義は知性の極みから生じるようである。賢哲の愛智家の言葉をいくら借りても空虚にしか聞こえない。なぜなら、芥の思想は常に何かに対する批判という形でしか存在していないからだ。芥に限らず、全共闘の連中は、世界は諸事実との関係から成るのだから、まずは存在する個々の事物との関係の在り方を問わねばならない云々と「お前らはヴィトゲンシュタインの出来損ないか!」と一喝してやりたくなる主張を繰り返すが、彼らは一様に自分自身の存在と向き合わなかったし、今も向き合っていない。三島ほどの賢者なら、全共闘の連中が言う物象化論を逆手にとって、「お前たちこそ、その拳を武器にして、その手にゲバ棒を掴んで、自分自身をモノ化、武器化している」と容易に反論できたはずだ。それをしなかったという事実それ自体が、基地外基地外(敢えてこう変換している)として扱わず、主体性ある人間として扱っている証拠である。こうした三島の思想を現代人に問うのは、製作者が現代人の知性とコミュニケーション能力に一縷の望みを抱いているからだろう。

 

非常に興味深く、また勉強になったと感じられたのは三島の天皇観。天皇機関説天皇主権説がごっちゃになっていて「なんじゃ、こりゃ?」と面食らった。しかし、三島の生きた時代背景、そして三島が個人的に得た天皇体験に裏打ちされたものと知り、得心することができた。「天皇反日」なるキチガイとしか思えない発言をするネトウヨ連中や神社庁のトップ、さらに日本会議のお歴々には、個人的な天皇体験というものがないのだろう。ゆえに、天皇=国体=自身の理想とする国家像がめでたく等号で結ばれることとなる。そうした者たちにとって、天皇とは人間ではなく記号なのである。泉下の三島は現在の保守論壇をどのように見つめているのだろうか。

 

1969年というのは、実に象徴的な時代である。東京オリンピックの数年後であり、大阪万博のまさに前夜であった。つまり、日本という国が強烈な外部の視線にさらされ続けた時代だったのだ。そこで日本という国の在り方を自身の在り方に重ね合わせて希求した三島由紀夫と、反動と反抗という形でしか希求できなかった全共闘。もとより言論に勝敗も何もないものだが、どちらが大人でどちらが子どもかは火を見るよりも明らかである。経済格差以外に、日本でも思想の“分断”が見られる。これも内乱の火種になるだろう。アメリカはオバマが分断を生み出し、結果トランプ政権が爆誕した。今や、その反動でバイデン勝利の芽がどんどんと成長しつつある。そして、そこからまた分断が生まれ、内乱状態になるのだろう。日本とて同様である。我々がこの作品から受け取るべきメッセージは何か。様々なものがあるが、最も陳腐なものは「対話を志向せよ」ということだろうか。

 

Jovianは実は三島の作品を読んだことがない。不勉強の誹りは甘んじて受ける。

 

ネガティブ・サイド

何かとお騒がせの東出昌大のナレーションは、はっきり言って下手である。『 恐竜超伝説 劇場版 ダーウィンが来た! 』の田辺誠一と大塚寧々と同じくらいに下手である。言葉に抑揚や強弱がないのだ。別にナレーターまでが熱情をほとばしらせて喋るべし、とまでは思わない。だが、本読みしているだけにしか聞こえない。臨場感を生み出してやろうという気概が感じられないし、実際には作品に緊張感や深みを与えていない。もっとマシな人選はできたはずだ。

 

三島および東大全共闘を現代から語る面々にインパクトがない。瀬戸内寂聴はそれなりに著名人だが、もっと他にインタビューすべき相手や、過去の映像や活字を掘り起こすべき対象はいくらでもいるはずだ。パッと思いつくだけでも菅直人猪瀬直樹といった政治家(いや、政治屋か)や、高橋源一郎といった文筆家にもインタビューができたはずだし、するべきだった。もしくは石原慎太郎に三島や当時の日本のアカデミアや論壇の在り方がどのようなものだったか証言させてもよかった(耄碌していて無理だったのかもしれないが)。もしくは、それこそ丸山眞男その人も引っ張り出せたはずだ。本人へのインタビューはもはや不可能だが、それでも丸山の講義や講演の多くはテープに残されている。実際にJovianも在学中に聞いたことがある。丸山自身が全共闘を語った記録が残っていないわけがない。そうしたものを発掘してこそ「報道のTBS」ではないのか。全共闘の主要メンバーが「なぜ全共闘は敗北したのか」という問いに「敗北はしていない。運動は市井の中に拡散していったのだ」と詭弁を弄するが、これなどは三島が批判していた「暴力を闘争と言い換える」という行為そのままである。こうした点を批判する声を上げられる人間を連れてくるべきだったのだ。

 

本作の弱点は、現代に対するメッセージが非常に貧弱な点である。もちろん、三島の言葉や、あるいは全共闘の歴史から一義的なメッセージのみを受けとったとすれば、それはそれで失敗だろう。それでも、今という時代を狙って三島および全共闘にスポットライトを当てたことの意義を、製作者はいくらかでも自らの言葉で語るべきだった。その意味では『 主戦場 』には大きく劣っている。

 

総評

非常にスリリングな議論が収録されているが、はっきり言って、東大全共闘の面々の論理が過去も現在も破綻している。三島と全共闘の共通の敵として「猥褻な日本」があると芥は言うが、これも詭弁だ。三島の言うエロティシズムの定義をよくよく思い起こされたい。芥は自分たちの存在が「猥褻な日本」という観念に侵害されていた。だから闘ったと言う。だが、それこそまさに自分たちが三島を集団レイプしようとしていたことと表裏一体であることにどうして気づけないのか。これこそ、Jovianが全共闘学生運動を駄々っ子だと断じる理由である。あれは、ちょっと過激な部活動に過ぎなかった。もちろん、これはJovianの私見に過ぎない。感想は観た人の数だけあってよい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

believe in ~

三島が言う「私は諸君らの熱情は信じる」の“信じる”である。believe ~ = ~を(良い・正しいものとして)信じる、という意味である。一方、believe in ~ = ~に対して強い信念を持つ、という意味である。このあたりの使い分けができれば、英語初級者は卒業である。

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お勧めの映画系サイト

COVID-19の感染爆発の重大局面にあるとされているが、実際はもうすでに爆発しているだろう。潜伏期である2週間が経過していないだけだと思っている。アメリカはすでにほとんどすべての映画館がクローズ状態である。日本も東宝シネマズ系が一部終末に休業しているようだ。いつまで続くのか先を見通せない。翔んで兵庫もなんのそので大阪・心斎橋に出向いて韓国映画でも観て鬱屈した気分でも晴らしたいが、嫁さんからストップがかかった。こういう時、男は無力である。

 

Amazon Prime Videoもちょこちょこと観始めてはいる。自宅テレビは40インチで小さくはないが、特別に大きいわけでもない。やはり劇場の大画面が恋しい。

 

完全に手持無沙汰なので、やることは3つに限られてしまう。すなわち、

 

1)読書

2)勉強

3)インターネット

 

である。本当ならこういう時こそ勉強すべきなのだろうが、Jovianはものぐさ太郎である。夏休みの宿題は小学校から高校、大学に至るまで常に最後の3日間で終わらせてきたタイプである。読書はそれなりに行っている。昔に比べて小説を読む量は減ったが、その分、映画が増えただろうか。それに読書はたまにこちらのブログでも書いている。勉強(特に英語系)については、いつか別のサイトを立ち上げようかと思料している(だけで終わる可能性もあるが)。

 

備忘録も兼ねて、普段の自分がどのような映画系サイトを渉猟しているかをシェアするのも悪くないだろう。

 

となりの映画館チャンネル 

まとめロッテ!を定期的にチェックしているJovianには、非常に親和性が高いサイト。一人の見解ではなく、多くの人間の意見や感想に一度に触れられるのがありがたい。監督や作品ジャンルごとに分けられたサイト設計も親切。特に映画作品ジャンルに「モンスター映画」があるところにニヤリ。管理人氏はかなりのオッサンだろう。残念なところが管理人個人の意見や感想が見えてこないところか。

 

元ボクサーの一念発起

Jovianはボクシングファンである。自分ではやらないが、観るのは大好きである。特に塩分濃いめのボクサー(徳山昌守ウラディミール・クリチコなど)を殊の外に好んでいた。もちろん、井上尚弥などのSweetなボクサーも好む。元ボクサーで映画好きな管理人というのが個人的にポイントが高い。Netflix作品が多く紹介されているが、映画についても北欧からアメリカ、もちろん邦画もカバーされていて、ジャンルもホラーからアクション、アニメ原作作品からヒューマンドラマまで守備範囲も幅広い。管理人自身の声もよく響いてくるサイトであるが、辛口批評は少なめ。

 

MIHOシネマ | 映画ネタバレあらすじ結末

映画好きの28歳(美人)OLの影山みほ氏のサイト。ちなみに括弧はJovianが勝手に補足した。Jovianはみほ氏を才色兼備だと勝手に想像している。それが事実であるかそうでないかはどうでもよい。みほ女史は呵々と笑ってくださることだろう。一人で7500作品をレビューしているという、とんでもない御仁である。個人的に重宝しているのは【動画配信サービスから探す】である。JovianはAmazon Prime Videoを観ることはできるが、無料の作品と有料作品の仕分けが意外と面倒くさい。そのような時には素直にMIHOシネマに頼っている。U-NEXTやHulu、Netflixのユーザーも、おそらくみほ女史のサイトを相当にありがたく感じているのではないだろうか。

 

もうひとつ重宝しているのが【映画賞・映画祭から探す】である。サンダンス映画祭インディペンデント・スピリット賞あたりが一目で参照できるのはとてもありがたい。また、さりげなくゴールデンラズベリー賞日本アカデミー賞が真ん中あたりに配置されているところにニヤリ。その意図は推して知るべしである。

 

各種映画の紹介だけではなく、映画のあらすじや考察を交えているところも素晴らしい。Jovianは『 メッセージ 』を劇場鑑賞して、腑に落ちたところと全く腑に落ちなかったところがあったが、MIHOシネマのネタバレあらすじで頭がスッキリしたことを覚えている。

 

サイトと同じくらいに個人的に楽しんでいるのは、女史のTwitterである。Jovianもこっそりフォローしている。自分のサイトで定期的に「セックス」だの「裸」だのというワードを、哲学的あるいは衒学的に使ってごまかしているJovianとしては、女史の飾らないストレートな表現には敬意を払うほかない。個人が運営する映画のデータベース的なサイトとしては最高レベルではないだろうか。

 

映画貧乏日記

非常に硬派で硬質な映画レビューブログである。管理人はcinemaking氏。社会派な映画のレビューを、製作者のバックグラウンドや時代背景と交えて非常に巧みに解説してくれている。また芸術的な映画にも造詣が深く、確かな鑑賞眼の持ち主であることは疑いようがない。そのことは最近の『 ラストレター 』や『 真実 』のレビューを一読いただければ実感いただけよう。邦画や外国英語が問わずレビューされているが、明らかにミニシアター系の映画が多い。そうしたところも好感度を高めてくれる。Jovianがシネ・リーブル梅田やテアトル梅田に行くのは、cinemaking氏のレビューに触発されているからだと思ってくださって結構である。東京と関西の映画公開のタイミングにはしばしばラグがあるが、信頼できるレビューが手に入るという点は実にありがたい。更新頻度は月に10回前後であるが、更新されれば必ず見に行く。そんな数少ない良質なサイトである。

 

オーガナザイズド

ビックル三十郎氏のサイトである。かの椿三十郎から来ているのだろうか。博覧強記と辞書で引けば、この御仁が出てくるのではないかと思えるほど日夜映画を鑑賞しておられる。その映画鑑賞数の豊かさと★1つから★5つまでで映画を採点する姿勢、さらにはダメ作品にはダメの烙印を押せる姿勢に、Jovianは勝手に三十郎氏を日本版Joe Bob Briggsだと思っている。ご本人は「観たというだけで鑑賞眼が養われるわけではない。その最たる例がここにいる」と言うが、これこそ謙遜というものである。氏は森見登美彦の小説をこよなく愛しているようで、そのあたりもJovianと趣味嗜好を同じくしていると勝手に思い込むようにしている。氏がたびたび言及する「ジョニー」も森見の小説由来であろう。Jovianも映画の中のセックスにあーだこーだ言うのであれば、己の下半身についても何かしら発言せねばならぬのではないかと、考えてしまうことがある。更新頻度がすこぶる高いサイトである。大作からマイナーな作品、古いものから新しいものまで、幅広くレビューされていて、個人のレビューブログとしては白眉である。

 

以上、勝手に紹介させていただいた。後悔はしていない。苦情あればください。すぐに修正させていただきます。そのうち英語の映画系サイトの紹介もしてみたい。

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『 ベイビー・ドライバー 』 -音楽+クルマ+犯罪+ロマンス=Baby Driver-

ベイビー・ドライバー 85点
2020年3月28日 所有Blu-rayにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート リリー・ジェームズ
監督:エドガー・ライト

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これは2017年の夏に梅田ブルク7で鑑賞して以来、劇場で6~7回観た。それぐらい衝撃を受けた作品だった。4DXを体験しに、わざわざ四條畷イオンモールまで遠征したり、爆音上映を楽しむためにMOVIX京都まで出向いたのだった。心斎橋シネマートで『 幼い依頼人 』や『 娘は戦場で生まれた 』を観たかったのだが、外出自粛要請&嫁さんからのストップ。なので自宅のテレビで本作を改めて鑑賞している。

 

あらすじ

ベイビー(アンセル・エルゴート)は逃がし屋ドライバー。音楽を聴くことで運転のスキルが極限にまで高まる。数々の強盗事件の犯人を、自慢の運転スキルで逃がしてきた。しかし、ある日ダイナーでデボラ(リリー・ジェームズ)に出会ったことで、足を洗おうと決意するが・・・

 

ポジティブ・サイド

何といっても冒頭の6分間の銀行強盗からの逃走シーンが秀逸だ。The Jon Spencer Blues Explosionの“Bellbottoms”で一気にハイになったベイビーが、天才的なドライビング・テクニックでパトカーの大群を振り切り、ヘリコプターの追跡からも見事な機転で逃げ切るのは、2010年代の映画の中でも最高のオープニングの一つだろう。市街地でドリフトで疾走する様は、まさにドライバーがやりたいという願望を持っていても絶対にやれないことを代わりに実現してくれたようで、実に爽快かつ痛快である。

 

大柄で童顔なアンセル・エルゴートが“ベイビー”というのもいい。ベイビーのごとくほとんどしゃべらないこと、幼少の頃の事故のトラウマから今も抜け出せていないこと、母親(母親的な人物)を探し求めていることなど、様々な属性を持つキャラクターであるベイビーだが、まさに名は体を表す。記憶力(retention)も抜群で、テレビをザッピングしながら様々なセリフを一瞬で気暗記していく。そのセリフを再生することで他キャラと思わぬinteractionが生まれる。まさに周囲の真似っこをするという意味で“ベイビー”=赤ん坊なのだが、そのベイビーがどんどんと自分の言葉を獲得していく過程も興味深い。

 

そのベイビーを成長させるようとして本作は2つの基軸を提示する。すなわち、疑似的な父親との関係と恋人との関係である。本作に登場する疑似的な父親はケビン・スペイシーが演じるドク、ジェイミー・フォックスが演じるバッツ、ジョン・ハムが演じるバディ、そしてCJ・ジョーンズ演じるジョーである。特にCJ・ジョーンズは本当に耳が聞こえないそうで、このような役者を起用できるところにあちら側の懐の深さを感じる(日本でもようやく『 37セカンズ 』という秀作が出たが)。文学的な意味で言えば父親とは殺すべき対象であり、実際の人間の成長過程においては乗り越えるべき対象であり、またその支配や庇護から独立すべき対象である。両親のいないベイビーに対して、虐待的な父親=バッツ、趣味を同じくする父親=バディ、支配的な父親=ドク、そして世話をしなければならない父親=ジョーとの関係、そしてそれらの関係の終わりには、何とも味わい深いものがある。アクションだけではなく、このあたりのキャラクター造形、キャラクターの関係の深さと豊かさが、2017年のJovianをrepeat viewingに走らせたのだ。

 

だが、何といってもデボラとベイビーのロマンスだ。冒頭のコーヒーを買う時のロングのワンカット(実際は30回以上の撮影を経てワンカットに見えるように編集したらしい)で、ベイビーが恋に落ちる瞬間が視覚的に表現されている。このシーンは“Harlem Shuffle”の歌詞と壁や電柱の落書き、つまり音声と文字との一致ばかりに目が行きがちだが、どうかそれ以外のアートにも注目をしてほしい。Jovianは劇場で、確か4度目ぐらいの鑑賞であるオブジェの色の変化に気が付いて、感嘆の声を漏らしたのを覚えている。そのデボラとの出会いがカフェというのも良い。運命の相手とは、しばしば日常的なシーンで出会うものだからだ。一際良かったのはベイビーが実際に恋に落ちる瞬間の演出、というより恋に落ちたと確信する瞬間の演出か。わざとらしいスローモーションやズームインを全く使わず、淡々とした会話だけでそれを表現したのが逆に非常に新鮮に映った。デボラは母親的な存在ではない。が、いずれベイビーと結婚するのだろうと予感させてくれる。そのことはベイビーがダイナーで言う“Yes, I do.”というバディの質問への返答に表れている。

 

本作のBGMは、ほとんどすべて既存の歌であり楽曲である。シーンや演出に合わせて音楽が生まれたのではなく、エドガー・ライトが使いたい音楽がまずそこにあり、それに合うようなシーン演出がなされている。それが最も端的に表れているのが、中盤の“Tequila”に合わせた銃撃戦シーンと、終盤手前の“Hocus Focus”に合わせた銃撃戦シーンである。Jovianは今でもBGMと役者の演技の融合の白眉(ミュージカル作品除く)は、『 ニューヨーク東8番街の奇跡 』で、地上げ屋が車載電話でプーッ・プーッ・プ・プーッとダイヤルするシーンだと思っているが、本作の音楽とアクションのシンクロ具合は、間違いなく映画演出の最高峰である。

 

エンディングもひたすらに美しい。ジュディ・ガーランドの『 オズの魔法使 』の如く、白黒がカラーに転じる瞬間に一瞬垣間見える虹に、自分の幼少期の映画体験の原点が強烈に思い起こされた。おそらく、エドガー・ライトも同様の経験を幼少期に持ったのではないか。白黒がカラーに転じるあの瞬間に、カンザスとオズ、つまり現実と夢幻の世界の境界が溶けたのだ。それと同じく、ベイビーとデボラが再び出会い、音楽を流し、あてどないRoad Tripに出るというビジョンが現実なのか幻想なのかはもはや重要ではないのである。

 

本作では数々の名曲がフィーチャーされているが、オッサン映画ファンとしては、本作を機に若い世代にコモドアーズの“Easy”を特に堪能してほしいと思う。

 

ネガティブ・サイド

奥手であるとしか思えないベイビーがバッカナリアという高級レストランで如才なく振る舞えるのには少々違和感を覚えた。バディの台詞をコピーして、それでデボラをディナーに誘うのはいいが、そこから先がトントン拍子過ぎる。テレビをザッピングしながら、モテる男のデートでの振る舞い方のようなものを一瞬だけでも良いのでインプットするシーンがあれば良かったのだが。

 

個人的にはベイビーがピザ屋として働くシーンや、何気ないデボラとの逢瀬のシーンがもう2~3分欲しかった。BabyからBoyに、そしてBig Boyになっていく過程がもう少しだけあれば、それぞれの疑似的な父親たちとの対決や別離がもっともっとドラマチックに感じられことだろう。

 

総評

カーチェイス映画であり、アクション映画であり、クライム映画であり、歌と音楽とダンスの映画であり、アングラノワールであり、ラブロマンスであり、コメディーであり、ヒューマンドラマであり、ビルドゥングスロマンでもあり、ファンタジー映画ですらある。古い革袋に新しい酒と言うが、全てのシーンが古くて新しい。どこかで観たような映画の構図がてんこ盛りなのだが、それがまったく気に障らず、適度なオマージュとして機能している。エドガー・ライトの才気煥発、面目躍如の一作である。鬱々とした気分をぶっ飛ばしたい時にこそお勧めの逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

talk shop 

劇中ではドクが“Shop, let’s talk it.”と言う。talk shopで「仕事の話をする」という意味である。商談の場であいさつやちょっとした雑談をして、本格的に仕事の話をするときなどに使ってみよう。shopを使う表現としては他に、set up shop=開業する、事業を始める、というものがある。He set up shop as a lawyer recently. =彼は最近、弁護士として開業した、という具合に使う。

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『 マーターズ(2016) 』 -完全なる劣化リメイク-

マーターズ(2016) 20点
2020年3月26日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:ベイリー・ノーブル トローヤン・べリサリオ
監督:ケビン・ゴーツ マイケル・ゴーツ

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かの怪作『 マーターズ 』のアメリカ版劣化リメイクである。パスカル・ロジェの持つ生々しいビジュアルへの感覚と哲学・死生観といったものが、本作からはごっそり欠落している。

 

あらすじ

リュシーはかつての監禁のPTSDに悩まされながらも、アンナの介護によって回復していった。しかし15年後、リュシー(トローヤン・べリサリオ)は自分を監禁していた者たちを見つけてしまう。復讐心に駆られた彼女は、銃を手に取り、彼らのアジトに踏み込んでいく。しかし、それは監禁と拷問の幕開けだった・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianの嫁さんがハマっていたテレビドラマ『プリティ・リトル・ライアーズ 』のトローヤン・べリサリオは美人である。原作のモルジャーナ・アラウィに負けていない。

 

クライマックス手前のショベルのアクションシーンは良かった。原作にはない暴れっぷりと流血シーンで、ここだけはちょっと「お!」となった。

 

ネガティブ・サイド

悲しくなるくらいに何もかもがダメである。モンスターの幻影・幻覚も劣化、暴力描写も劣化、中盤のアンナとリュシーを巡る主役交代もなし、そして何とも知り切れトンボな幕切れ。ケビンとマイケルのゴーツ兄弟は、オリジナル作品から何を読み取ったのか。そして本作を通じで何がしたかったのか。

 

まずもってべリサリオが脱がないのは何故なのか。PLLでは、トップレスではなかったとはいえ、裸体の結構な部分を見せてくれていたではないか。いや、ヌードを見せろと言っているわけではない。人間の尊厳を失うような暴力描写がもっと必要なのではないかということだ。女性の裸に性的な魅力を認めるのではなく、むしろ逆に「女の命」である髪を情け容赦なく切っていくオリジナルの方が、はるかに迫力が感じられたし、すべてはある崇高な目的のためという、オリジナルにあったマドモアゼルたちの狂信性が、本作からはごっそりと抜け落ちていた。

 

原作でリュシーが見たビジョンも本作では再現されず。いや、別にダンテの『 神曲 』的なビジョンでなくてもよいのだ。監禁・拷問・虐待の果てに見出せる境地があるとすれば、それはとても禍々しいものか、その逆にひょっとしたら神々しいものなのかもしれない。そうしたビジョンの特徴を、観る側と共有できるような共通の記号あるいはガジェットとして、オリジナルはダンテの『 神曲 』的なイメージを効果的に使った。本作にはそれがない。裸でもない、髪を切られたわけでもない、生皮をはがされたわけでもないべリサリオが白目を剥いているだけ。拍子抜けもいいところである。

 

最後の最後もシラケる。オリジナルのambivalentでenigmaticな雰囲気が、文字通りの意味で吹っ飛ばされる。オリジナルでマドモアゼルはなぜ念入りに化粧をしていたのか。狂信的なまでの信念の持ち主とは思えない言葉を吐いたのは何故なのか。そうした謎をすべてぶっ飛ばす本作の終わり方には失望を禁じ得ない。

 

総評

90分をドブに捨てた気分である。COVID-19がオーバーシュートしそうなクリティカルなフェーズなため、シアターでムービーをウォッチすることにもためらいが生まれてしまう(小池百合子風)。オリジナルを観たら、本作を観る必要はない。逆に本作から観たという人は、絶対にパスカル・ロジェの『 マーターズ 』を観るべきだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You tell me.

本作の字幕では「見れば分かる」だったが、この訳も微妙である。本来は文字通りに「あなたが私に教えて」であるが、転じて「知らんがな」というような意味でも使われる。『 ベイビー・ドライバー 』で、ベイビーに予定を尋ねられたデボラが“You tell me.”と返していた。

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『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』 -とにかく熱い韓国映画読本-

韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 75点
2020年3月21日~22日にかけて読了
発行元:株式会社鉄人社

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2020年3月15日に『 殺人の追憶 』を心斎橋シネマートで鑑賞した際に、同劇場で購入。3月21日にページを開き、3月22日に読了。第1刷は2011年という本書だが、掲載されている日本の映画人たちの韓国映画をレビューする熱量は、『 パラサイト 半地下の家族 』がアカデミー賞を席捲した直後かと思えるほど。実は韓国映画は10年以上前から熱かったのだなと、今更ながらに本書に蒙を啓かれた思いである。

 

あらすじ

頭をかち割られ、心臓をつかまれ、エンドロールが流れるころには身も心もぼろぼろ。その独特の後味の中で、体内に重く沈殿する何か。生きるとは?愛とは?家族とは?赦しとは?人間の本質、人生の普遍にかかわる重要な投げかけに我々は深く自問自答せざるをえない。スクリーンでしか得られない興奮と苦悩を、問答無用に突きつけてくる韓国映画。本書は本物志向のコリアンムービーが放つ妖しくも危険な魅力に迫った1冊である。(編集部のINTRODUCTIONを一部引用)

 

ポジティブ・サイド

園子温宮藤官九郎中村うさぎ三池崇史など、実に濃い面々の声を聞くことができる。ただの声ではない。彼ら彼女らは皆、韓国映画に脱帽している。これだけの映画人たちがしゃっぽを脱ぐのだから、韓国映画の持つ熱量たるや、すさまじいものがあるのだろう。マイルドな映画ファンにそう思わせるだけの迫力がある。

 

いや、中には兜を脱いでいない役者もいる。『 ボヘミアン・ラプソディ 』のレビューの雑感で「お前のキャリアはどうでもいい。裏方さんに迷惑かけんな」とJovianが断じた新井浩文だ。彼は『 チェイサー 』で殺人鬼を演じたハ・ジョンウを指して、「で、あの役をもしウチがやってたら、とか考えると、もっと怖くできただろうな、と。そこはすごく思うんですよね」(P50)と豪語する。その意気や良し!日本では役者として再起することは難しいだろう。韓国語を勉強しまくって、韓国映画のオーディションを受けまくればいい。『 リンダ リンダ リンダ 』でぺ・ドゥナが、『 新聞記者 』や『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』のシム・ウンギョン、『 焼肉ドラゴン 』のキム・サンホなど、韓国の俳優は結構たくさん日本の映画に出ている。逆は、『 哭声/コクソン 』の國村準ぐらいか。唐田えりかも若いのだから韓国語を猛勉強して、韓国映画界に活路を見出すべきだ。そうすれば凱旋帰国の道も開けてくるかもしれない。

 

閑話休題。個人的に最もグッと来たのは竹中直人による『 悪魔を見た 』レビューだ。「感覚としては『 悪魔のいけにえ 』や『 エクソシスト 』を観たときの感覚に近いのだけど、それさえも吹っ飛んじゃった」(P43)ということである。マジかよ・・・ スーパーナチュラルなホラーの最高峰『 エクソシスト 』と、サイコパス・スラッシャーのホラー最高峰の『 悪魔のいけにえ 』以上なのか。この二作はレンタルビデオで観た中学生のJovianをほとんど文字通りの意味 pants-shittingsly scaredな気分を味わわせてくれたが、それ以上なのか。観たいような観たくないような。

 

もう一つ印象に強く残ったのが、寺島しのぶの『 母なる証明 』評。「韓国映画は好きで良く観ますが、いつも感じるのが“匂い”です」(P)と言う。これは化学的な意味での匂いではなく、比喩的な意味での匂いだが、寺島しのぶが『 パラサイト 半地下の家族 』の兄妹ふたりがWi-Fiを求めてトイレに行き着くシーンには、どんな“匂い”を嗅ぎつけるのだろうか。日本では貧困家庭の女子高生がスマホを持つことを「けしからん」と感じるアホ(敢えてそう呼ばせて頂く)がたくさんいるが、スマホやPCでインターネットに接続することは、衣食住よりも大切とは言わないが、それらに次ぐほどに重要なことなのだ。臭そうなトイレだなと思っては負けである。寺島しのぶによる『 パラサイト 半地下の家族 』のレビューをぜひ聞いて/読んでみたい。今からでも誰かインタビューに突撃してくれないかな。

 

ネガティブ・サイド

カラーページが少ない。韓国映画のテイストに、血まみれの描写に妥協をしないという点が一つ挙げられる。容赦ない暴力の場面、または流血の場面にもっとカラーページを割いても良かったのでは?

 

後は、対象に想定している読者が狭い。ライトでカジュアルな映画ファンからディープでコアな映画ファンまでを想定するのは良いが、このような読本が本当に取り込まなければならないのは年に1~2回程度しか映画館に行かない、いわゆる一般人である。容赦のない暴力や狂気の愛だけではなく、普通にロマンティックなラブストーリーや青春映画を2、3作品ほど紹介するスペースがあってもよかった。もしくは一般人に訴求力のある役者、例えば小栗旬妻夫木聡篠原涼子といった知名度と実力の両方を持った人間などにインタビューあるいは一筆をもらうことはできなかっただろうか(ギャラ的に完全に無理だったのかもしれないが)。

 

どこかに日韓映画文化比較論を入れる余地もなかっただろうか。【そこまでやるか、韓国。ついていけるか、日本】と煽るのなら、しっかりと日韓の映画をcompare and contrastすべきだろうと思う。そのあたりは2020年代に発行されるであろう、新たな読本に期待するとしよう。

 

総評 

韓国映画『 パラサイト 半地下の家族 』が米アカデミー賞で4冠達成。今こそ読むべき韓国映画読本である。今年だけでも『 エクストリーム・ジョブ 』や『 スウィング・キッズ 』などの秀逸なコメディや人間ドラマを送り込んできている韓国映画界。今こそ、向き合うべき時である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give ~ goosebumps

寺島しのぶが『 母なる証明 』の冒頭のシーンで「鳥肌が立った」と述懐している。その表現がこれである。My oh my, your presentation gave me goosebumps. = 「なんてこった、お前のプレゼンに鳥肌が立ったぜ」となる。しばしば無生物を主語にして使われる表現である。パッとこれが口から出せれば、英語学習の中級者である。

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