Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 85点
2021年10月7日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:田中敦子 大塚明夫 山寺宏一
監督:押井守

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緊急事態宣言の解除は喜ぶべきことだが、明らかにノーマスクの人間や、あごマスクで飛沫を飛ばす人間も増えた。映画館好きとしては、以前のような人手の少なさや間隔を空けての崎瀬販売が望ましかったが、そうも言ってはいられない。ならば人が少ない時間帯を狙って、本作をピックアウト。

 

あらすじ

近未来。全身を義体化した公安9課の少佐こと草薙素子田中敦子)はサイバー犯罪や国際テロと日々戦い続けていた。ある時、国際指名手配されている謎のハッカー人形使い」が日本に現われ、草薙素子は相棒のバトーやトグサらと共に捜査に乗り出すが・・・

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ポジティブ・サイド

新劇場版の『 攻殻機動隊 』はビジュアルからして「うーむ・・・」だったし、スカーレット・ジョハンソン主演の『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』は原作および本作にあった哲学的命題を完全無視していて、これまた「うーむ・・・」だった。そこで初代アニメーションの本作である。確か公開当時リアルタイムでは鑑賞できず、WOWOWで放送されたのを家族で観たんだったか。その後、大学の寮でもジブリアニメ研究にやってきたスコットランド人と一緒に観た。

 

3度目の鑑賞で最初に強く印象に残ったのは、バトーが素子に向ける視線。いや、視線を逸らすところと言うべきか。冒頭で素子がいきなり服を脱ぎ捨てるところからして面食らうが、その直後に素子の全身が義体であることを散々に見せつけられる。にもかかわらず、バトーは素子の裸から思わず目をそらす。確か高校生および大学生のJovianも、いたたまれなさを覚えたように記憶している。すぐそばに家族や友人がいたということもあるだろう、けれど、今の目で見て思ったのは「なぜバトーは全身サイボーグの素子の裸を観ることに羞恥心あるいは罪悪感を抱くのか?」ということである。

 

これは難しい問いである。一つにはバトーは生身の女性の裸に反応したわけではなく、女体という「記号」に反応したと考えられる。もう一つには、素子が恥じらわなかったということも挙げられる。素子の側が「見るな」という素振りを見せたり、あるいは言葉を口にしていれば、「でもそれって義体じゃねーか」という反論が可能になる。つまり、居心地の悪さを感じるのは自分ではなく素子の側となる。人間が人間であるためにはどこまでの義体化が許容されるのか。漫画『 火の鳥 復活編 』からの変わらぬテーマである。人間と機械の境目はどこにあるのか。生命と非生命の境界はどこなのか。全編にわたって、そのことが静かに、しかし雄弁に問われている。

 

生命哲学=命とは何かという問いは20世紀初頭から盛んに問われてきていたが、1990年代前半の時点で、インターネット=膨大な情報の海という世界観の呈示ができたのは、士郎正宗押井守の先見性だと評価できる。若い世代には意味不明だろうが、Windows95以前の世界、PCで何をするにもコマンド入力が求められた時代だったのだ(その時代性は指を義体化させ、超高速でキーボードをたたくキャラクター達に見て取れる)。直接には描かれることはないが、ネット世界の豊饒さと現実世界の汚穢が見事なコントラストになっている。『 ブレード・ランナー 』と同じく、きらびやかな摩天楼と打ち捨てられた下流社会という世界観の呈示も原作者らの先見性として評価できるだろう。

 

本作が投げかけたもう一つの重要な問いは「記憶」である。自己同一性は「意識」ではなく「記憶」にあるということを、本作はそのテクノロジーがまだ本格的に萌芽していない段階で見抜いていた。現に人格転移ネタはフィクションの世界では古今東西でお馴染みであるが、1990年代においては西澤保彦の小説『 人格転移の殺人 』でもゲーム『 アナザー・マインド 』でも、移植・移動の対象は意識であって記憶ではなかった。だが、記憶こそが人格の根本であり、それを外部に移動させられるということが人類史上の一大転換点だったという2003年の林譲治の小説『 記憶汚染 』まで待たなければならなかった。ここにも本作の恐るべき先見性がある。

 

原作漫画において「結婚」と表現された、素子と人形使いの出会いと対話であるが、生命の本質を鋭く抉っている。『 マトリックス レボリューションズ 』でエージェント・スミスが喝破する”The purpose of life is to end.” = 「生命の目的とは終わることだ」という考えは、間違いなく本作から来ている。ウォシャウスキー兄弟(当時)も、本作の同作への影響を認めている。サイバーパンクであり、ディストピアであり、期待と不安に満ちた未来へのまなざしがそこにある。劇中およびエンディングで流れる『 謡 』のように、総てが揺れ動き、それでいて確固たる強さが感じられる作品。日本アニメ史の金字塔の一つであることは間違いない。

 

ネガティブ・サイド

都市の光と影の部分にフォーカスしていたが、地方や外国はどうなっているのだろう。特に序盤で新興の独裁国へのODAの話をしていたが、そこにもっと電脳や義体の要素を交えてくれていれば、これが全世界的な未来の姿であるという世界観がより強化されたものと思う。

 

「感度が良い」とされる9課の自動ドアであるが、いったい何に感応していたのだろうか。赤外線ではないだろうし、重量でもない。だとすればいったい何に?

 

総評

4K上映とはいえ、元がCGではなく手描きであるが故の線の太さや粗さは隠しようがない。しかし、面白さとは映像美とイコールではない。ごく少数の登場人物と実質ひとつの事件だけで、広大無辺な情報と電脳、そして義体化の先の世界にダイブさせてくれる本作こそ、クールジャパンの代名詞であろう。クールジャパンとは博物館のプロデュースではなく、ユニークさのプロデュースである。『 花束みたいな恋をした 』で神とまで称された押井守の才能が遺憾なく発揮された記念碑的作品。ハードSFは苦手だという人以外は、絶対に観るべし。ハードSFは苦手な人は、2029年に観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a ghost from the past

ゴーストというのは亡霊以外にも様々な意味がある。a ghost from the past というのは、しばしば「過去の亡霊」と訳され、忌まわしい過去を呼び起こす存在が今また目の前に現れた、という時に使われることが多い。ただ必ずしもネガティブな意味ばかりではなく、単に長年であっていなかった知人に久しぶりに会ったという時に、相手を指して a ghost from the past と言うこともできる。

 

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