Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 獣は月夜に夢を見る 』 -北欧スリラーの凡作-

獣は月夜に夢を見る 35点
2019年6月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ソニア・ズー
監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー

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原題は“Nar dyrene drommer”、英語では“When Animals Dream”である。日本語にすれば、「獣が夢見る時」ぐらいであろうか。獣とは何か、獣が象徴するものは何なのか。

 

あらすじ

マリー(ソニア・ズー)は父と母と寂れた漁村で暮らす少女。母はほとんど体を動かすことができない車イス生活である。鮮魚の出荷向上に就職したマリーは、周囲からのいじめと、自身の心身に起こる奇妙な変化を経験していた・・・

 

ポジティブ・サイド

驚くほどに映画的な演出に乏しい。それが逆に心地よい。北欧の映画にそれほど詳しいわけではないが、『 THE GUILTY ギルティ 』でも顕著だったように、主人公の表情や仕草、立ち居振る舞いに注目をすることが北欧、デンマークの流儀であるようだ。これ見よがしに、取って付けたようなシネマティックな演出などは行わない。しかし、ビジュアル・ストーリーテリングの面では外さない。きっと彼の国の映画ファンの目は肥えているのだろう。

 

主演を張ったソニア・ズーは、セクシーなシーンも厭わず演じる本格派。16歳の役を演じるには少々無理があるが、彼女をキャスティングしたサスペンスやスリラー、ホラーをもう1、2本は観てみたいと思わされた。

 

ネガティブ・サイド

マリーに心身の異常が発生するのが少し早すぎるように感じた。鮮魚出荷工場でのいじめがきっかけであれば素直に納得できる。そうではない理由は何なのだろうか。

 

マリーの獣性の萌芽は、物語の割と序盤から見られるが、母親に対する非人間的な接し方の意図もなかなかに分かり辛い。ごく狭い共同体の中で、母の存在が自らの存在への負担になっていると見ることは容易い。しかし、母の介助や介護の大部分は父によってなされている。思春期真っ只中という設定のマリーの心情を慮るのは難しいが、もう少し母と娘らしい関係の描写があっても良かったのではないか。

 

マリーの獣性が爆発する最終盤、人間と獣の境目を象徴するシーンがあるが、普通の人間に潜む残酷さと獣に宿る愛の対比の描写が非常に弱々しく感じられた。原題にある「獣が夢見る時」というのは、もう少し神々しい、それがあまりにも大仰な表現であると言うなら、もう少し美しい情景であったはずである。

 

総評

これこそRainy Day DVDであろう。梅雨で外出する気が起きない時に、1時間半ほどの時間を潰す目的で観るべきである。本作は、人生を変えるようなインパクトはもたらさない。ありきたりなホラー、ありきたりなスリラーである。

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『 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 』 -オタクに媚びるのもほどほどに-

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 45点
2019年6月20日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:石川界人
監督:増井壮一

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一時期、Jovianは何かの弾みで舞城王太郎清涼院流水浦賀和宏を読み出して、ラノベ方面にも手を出していた。今は、葉山透の『 9S 』の11巻以降と範乃 秋晴の『 特異領域の特異点 』の3巻を待っているだけである。たまには頭をリフレッシュさせるかと、タイトルだけ見て本作のチケットを購入した。何とも評価に困る作品であった。

 

あらすじ

梓川咲太は、女優にして恋人の桜島麻衣との交際も順調で、学校やバイト先でも仲間に恵まれ、幸せに暮らしていた。、しかし、咲太の初恋の相手の牧之原翔子が現れたことで、咲太と麻衣の関係が少しギクシャクし始めた。なぜなら翔子は「中学生」と「大人」として、二人同時に存在しているため・・・

 

ポジティブ・サイド

ストーリーの軸がぶれなかったの良かった。各キャラに合わせて色々なサブプロットを展開させなかったのは正解である。開始早々、原作未読者を置いてけぼりにする作りになっていることは分かった。これは潔い。ならばこちらは登場人物たちの背景や関係を把握することに努めるのみである。幸か不幸か、どこまでも定番のキャラクターたちが揃っていて、人物の属性把握は極めて容易い。同学年の寡黙な理系メガネ女子や、バイト先の年下妹系キャラなど、これまでに100万回見たり読んだりしてきた紋切り型のキャラクター造形はむしろありがたい。型どおりのキャラクター達が、とあるキャラクターが抱える謎に迫っていくストーリーも100回は体験した気がする。だからこそ分かりやすい。

 

咲太というキャラが、どこまでも純粋なところも共感しやすい。男という生き物は、その実際の生態は別にして、自分自身を純であると認識する傾向がある。本作の狙う客層は95%は男であるだろうし、事実劇場の客はほぼ100%男性(一人客5割、グループ客5割であったように見えた)だった。このようにデモグラフィックをはっきりさせた映画は鑑賞しやすい。メインターゲットの人々にとっては、一昔前に流行ったイージー・リーディングならぬイージー・ウォッチングが可能となる。不覚にもJovianは咲太というキャラを少し応援してしまった。

 

ネガティブ・サイド

王道的なキャラクター、王道的な展開というのは、一歩間違えれば陳腐で凡庸となる。本作はそのあたりの境界線上をかなり慎重に綱渡り的に進んで行くが、相対性理論やら量子力学超ひも理論、タイムトラベルを持ち出してきたあたりで、面白さが半減してしまった。確かにオタクは、本田透の分析に頼るまでもなく、最先端科学理論と格闘技が好きな生き物である。だからといって、意味のないガジェットにまで凝る必要はない。理系メガネ女子が読む「超ひも理論」の書籍に、ダジャレ以上の何の意味があるのか。タイトルからして『アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 』へのオマージュになっているには分かるが、それならせめて最低限の科学的一貫性を維持してもらいたい。相対性理論でタイムトラベルを説明するのなら、量子力学を持ち出さないでほしい。この二つの理論の相性は残念ながらすこぶる悪い。オタク相手に媚びたいのかもしれないが、おそらく通常のオタクはもっと科学的に洗練された、あるいは哲学的に深みのある設定を好むのではないか。それとも、それはJovianの世代の感覚で、今の10代や20代は、それっぽい用語や小道具を随所にちりばめておけば満足するのだろうか。タイムトラベルものというのはどこまでも矛盾に満ちているものだが、本作は『 アベンジャーズ/エンドゲーム 』が採用した、時間=意識説を用いる一方で、歴史を分岐しうる時間線の如く扱っている。無茶苦茶である。支離滅裂である。途中のウサギは『 ドニー・ダーコ 』へのオマージュなのか。やたらと難解SFを模すれば良いというものではないだろう。少しは『 ペンギン・ハイウェイ 』を見習うべきだ。

 

また、入浴シーンやキャラのバストアップのシーンなど、必然性を感じないアングルのショットがところどころで挿入されるのは何なのか。ストーリーテリングの上で必然性があればよいが、とてもそのようには感じられなかった。サービスとエンターテインメントを履き違えていないか。

 

総評

それなりに楽しめるものの、作り手の過剰なサービス精神がマイナスに作用しているという印象を受けた。あくまで原作未読者の感想である。ただ、ラノベが元々は1950~1960年代のSF作品の劣化コピーの延長線上に生まれたものとの認識を持てば、それほど目くじらを立てるほどのものではないのかもしれない。

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『 SANJU サンジュ 』 -歌と踊りが少なめのシリアスなインド映画-

SANJU サンジュ 80点
2019年6月16日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ランビール・カプール アヌシュカ・シャルマ ソーナム・カプール
監督:ラージクマール・ヒラーニ

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ラージクマール・ヒラーニ監督の『 きっと、うまくいく 』と『 PK 』は極上のエンターテインメント作品であった。本作はどうか。やはり傑作であった。

 

あらすじ

サンジャイ・ダット(ランビール・カプール)、通称サンジュはインドの人気俳優。しかし、母の早すぎる死、ドラッグへの惑溺、恋人との別離から彼の人生は転落していく。そして、銃の所持による逮捕、さらにはテロ事件への関与も疑われたサンジュは遂に塀の向こうの人となる。サンジュはしかし、諦めていなかった。信頼できる作家に自分の伝記を書いてもらい、世間に自らの実像を知らせようとしていた・・・

 

ポジティブ・サイド

『 きっと、うまくいく 』でもアーミル・カーンが40代にして大学生役を演じたが、ランビール・カプールも負けていない。『 PK 』の、どこか憎めない兄貴、知らないところで大活躍の兄貴、なんでこんなことになってしまうんだと思わされてしまう兄貴。そんな兄貴を演じたサンジャイ・ダットの波乱万丈を絵にかいたような人生、それを映画化するにあたって、ランビール・カプールも念入りに顔と体を作ってきた。ぎこちない演技、父とのかかわりとプレッシャー、ひょんなことから手を出してしまったドラッグ、無二の親友との出会い、ハイになってしまったまま迎えた恋人との破局、獄中生活のすべてが迫真性を有している。というのも、メディアが報じるサンジュの姿と、我々が追いかけるサンジュの姿に常にずれが生じるからだ。伝記作家ウィニーアヌシュカ・シャルマ)が取材していく中で浮かび上がっていくサンジュの姿は、それを語る者によって変化する。陰影が強くなるのだ。誰が見ても同じ、誰が語っても同じという人物は極めて皮相的だ。人間というのは、重層的な存在なのだ。そして時に応じて変化する。そうした人間本来のありうべき姿を見事に描出したランビール・カプールは、表現者としての階段をまた一歩上に登ったのではないだろうか。彼のサンジャイ・ダットのportrayalは完璧に思える。

 

ソーナム・カプールも称賛したい。『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』では道ならぬ恋慕をするキャリアウーマンを演じたが、今作では悲劇のヒロインに。彼女も an epitome of Indian beauty の一人だろう。美女の顔が悲嘆で歪むのを見るのは、大変なる痛苦である。それをもっと見たいと思ってしまうのは、Jovianにはサドマゾヒスティックな嗜好があったのだろうか。

 

しかし何よりも称賛に値するのはサンジュの無二の親友カムレーシュを演じたヴィッキー・コウシャルだ。メイクアップアーティストやヘアスタイリストの貢献度も大のはずだが、何よりも本人の演技力が光る。若かりし頃と現在とで、サンジュ本人よりも成長や老成の跡が見られる。そして、サンジュ本人は底抜けに明るく、ダークサイドから這い上がってくる強さも併せ持つ、不撓不屈の男でもある。そんなサンジュの苦悩を、カムリが対照的に映し出す。何年も音信不通であり、サンジュの逮捕を伝える新聞記事の切れっぱしを後生大事に持ち歩き、無二の知音を得た夜のことを、まるで昨日のことであるかのように鮮明に思い出せる。女性に対してもプラトニックで、男の純粋さの全てを体現したかのようなキャラクターである。このような友を持つことができる男は果報者である。タイガー、タイガー!

 

実在の映画俳優をフィーチャーしているだけあって、古今東西の映画の小ネタも大量にちりばめられている。最も分かりやすいのは『 ロッキー4 炎の友情 』のトレーニングシーンだろうか。『 ロッキー 』ではなく、『 ロッキー4 炎の友情 』というところが渋い。

 

歌と踊りは少なめであるが、その不満はエンドクレジットが解消してくれる。この何とも可愛らしいダンスは、『 帝一の國 』における美美子のパフォーマンスに優るとも劣らない。というのは、Jovianがもはや美少女よりもオッサンに感動させられる精神年齢に達してしまった証拠なのだろか。

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ネガティブ・サイド

 

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

 

 

総評

一人の俳優の人生が、インドの社会構造や歴史とリンクしていく様は圧巻である。のみならず、友情の普遍性や家族愛、人間の尊厳という時代や地域を超えて語るべきテーマを、陳腐になる一歩手前で感動的に描くことこそヒラーニ監督の手腕であろう。作品全体にややダークなトーンが貫かれているという点で、『 きっと、うまくいく 』や『 PK 』のような一部だけがダークな作品よりも、少し入りにくいかもしれない。ただ、そのことが本作の大きな減点要因にはならない。ぜひ多くの方にサンジュの人生の追体験をしていただきたい。

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『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 40点
2019年6月14日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ルーシー・ヘイル
監督:ジェフ・ワドロウ

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夏と言えばホラー映画またはサメ映画である。しかし、サメ映画については今年はいいかなと感じている。昨年(2018年)の『 MEG ザ・モンスター 』が収穫だったからではなく、『 アクアマン 』にレーザー光線を放つサメが登場したからである。ならばホラーである。Jovianの嫁さんが激ハマりしていたテレビドラマ『 プリティ・リトル・ライアーズ 』の主人公の一人、ルーシー・ヘイルが主演というのもレンタルの動機になった。

 

あらすじ

オリヴィア(ルーシー・ヘイル)は、親友のマーキーらと共に大学最後のバケーションとしてメキシコ旅行へ行く。そして現地で知り合ったカーターという男性と共に、皆でトゥルース・オア・デアに興じる。それは悪魔のゲームの始まりだった・・・

 

ポジティブ・サイド

日本でトゥルース・オア・デア(真実か挑戦か)を実際に行ったことがある人は、それほど多くないだろう。Jovianは一度だけ大学の寮でアメリカ人、ドイツ人、ブラジル人らと興じたことがある。独自ルールとして、真実、挑戦、いずれも拒否の場合はテキーラだったかウォッカだったかのショットを一気飲みが科されていた。若気の無分別というやつである。

 

このゲーム、そして本作の面白さも、ゲームの持つ不思議な魔力にある。我々も普段、じゃんけんやあみだくじで、そこそこ重要な事柄を決めたりしているが、そこには実は合理性は無い。あるのは、じゃんけんやあみだくじの持つ魔力=虚構性への積極的な加担である。そういえば、自分の卒論のテーマもこうだった。宗教(および諸々の社会システム)とは、その虚構性を積極的に認め、維持しようとする持続的な試みなのだ。

 

Back on track. 本作は割と早い段階で、『 ゲーム 』(主演:マイケル・ダグラス 監督:デビッド・フィンチャー)のような大掛かりな仕掛けのあるゲームではなく、『 シェルター 』(主演:ジュリアン・ムーア 監督:モンス・モーリンド ビョルン・スタイン)のようなスーパーナチュラルな存在によるものであることが分かる。恐怖は、怪異の正体が不明であることから生まれる、と『 貞子 』で述べたが、怪異の正体が人為的なものなのか、それとも超自然的なものなのかと登場人物および観客を惑わせるのは非常に効果的であり、なおかつ非常に難易度が高い。本作はそこでスリルやサスペンスを生み出すことをあっさりと放棄した。その代わり、人間の形相を極端に歪めることで観る者に怖気を奮わせる。『 不安の種 』でも使われた手法であるが、これはこれで慣れるまでは結構怖い。本格ホラーは苦手でも、ライトなホラーならイケるという向きにお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

怪異の正体が怖くない。というよりも、この手のホラー映画のパターンというのは、何故にここまで紋切り型なのか。先に挙げた『 シェルター 』もそうであるし、B級ホラーで言えば『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』、A級ホラーで言えば『 エミリー・ローズ 』がそうであるように、宗教的な観念、信仰が背景にある。なので怖い人にとっては怖い。怖くないと言う人にとっては怖くないという、両極端な反応を生み出しやすい。ホラー映画としてユニバーサルな怖さを感じさせる作品の白眉は『 エイリアン 』または『 シャイニング 』だろうか。宗教的または哲学的な観念を背景に紛れ込ませ、結局怖いのは人間なのだと感じさせるのが最も効果的なのかもしれない。

 

本作の弱点として、色々な人の死に方にバリエーションがないのである。どこかで見た死に方ばかりで、正直なところ退屈してしまった。中には『 催眠 』(主演:菅野美穂 監督:落合正幸)そっくりなシーンもあった。まさかパクっているとは思わないが、もうちょっとオリジナリティを追求しなければならない。

 

またゲームの中身も弱い。独自ルールは別に構わないのだが、挑戦の内容が酷い。何が酷いかと言えば、「○○を銃で撃ち殺せ」のようなダイレクトな指示である。我々のハラハラドキドキは、真実を語ることによってどのような人間関係が露わになってくるのか、挑戦を無事に成し遂げられるのかどうか、というところから来るのであって、直接的に害を及ぼそうとしてくるものにはハラハラドキドキはしないのである。

 

結末も容易に読める。というか、始まり方からして『 シンプル・フェイバー 』そっくりなのである。『 貞子 』こそ、こうあるべきだったのだが。

 

総評

中学生~大学生ぐらいまでであれば、それなりに楽しめるのではないか。特に高校生~大学生ぐらいまでのカップルなら、休日に鑑賞して楽しめるかもしれない。逆に年齢がそれよりも上、または映画経験、特にホラー映画経験がそれなりに豊富な人には、ややお勧めしづらい。PLLのファンなら、アリアを応援するつもりでレンタルするのも一つの選択肢かもしれない。

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『 さよならくちびる 』 -見事に切り取られた鮮烈な青春の一コマ-

さよならくちびる 75点
東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:小松菜奈 門脇麦久 成田凌
監督:塩田明彦

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Jovianはアメリカ人ではヘイリー・スタインフェルドとアニャ・テイラー=ジョイ推しであるが、日本人では小松菜奈推しである(『 渇き 』と『 溺れるナイフ 』はWOWOW放送場を録画したままで未視聴なのだが・・・)。そして門脇麦にも高い評価を与えている。その二人が出演する作品が、どういうわけか flying under my radar. 大慌てで出勤前に劇場鑑賞してきた。

 

あらすじ

ハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)は、シマ(成田凌)という元ミュージシャンかつ元ホストをローディーにして、「ハルレオ」というインディーバンドを組んでいた。しかし、ユニット内のメンバーの思いは微妙にすれ違い続け、そして解散前のツアーが始まる・・・

 

ポジティブ・サイド

ここは退屈迎えに来て 』で、やや調子っぱずれに歌っていた門脇麦。『 坂の上のアポロン 』で、結局歌わずじまいだった小松菜奈。この二人が予想以上の歌唱力を披露してくれた。成田凌も含めて、ギターを弾く演技もなかなか堂に入っていた。ギターを弾く姿というのは、手元よりも全身、立ち姿や座った時の姿勢で決まるような気がする。ピアノを弾く姿も、手元よりも全身の方がしっかり、はっきり表現されているように思う。『 グリーンブック 』のマハーシャラ・アリ然り、『 ラ・ラ・ランド 』のライアン・ゴズリング然り。

 

閑話休題。本作はバンドメンバーを巡る物語であるが、音楽以外の面も良い。ハルとレオとシマの報われない三角関係が、説明的な台詞もほとんどなく描かれる。ビジュアル・ストーリーテリングの面で秀逸なのである。レオが料理をしないこと、そのレオがハルの料理に胸を打たれる一連のシークエンスに、我々は否応なくレオのこれまでの境遇に思いを馳せずにいられなくなる。冒頭のシーンからレオは観る者に「なんなのだ、この尻軽は」と感じさせるばかりなのだが、それはきっと求められることが無かったが故の反動なのだ。単なる美少女キャラから複雑な事情や内面を抱えたキャラを演じられるようになった小松菜奈の今後がますます楽しみである。決してベッドシーンを期待しているわけではない。これまで見せてくれなかった歌唱シーンを見せてくれたのだから、今後も作品ごとに新たな地平を切り開いてほしいということである。

 

ハルを演じた門脇麦にも称賛を。100人に9人はLGBTがいるということで、もはや彼ら彼女らは珍しい存在ではない。しかし、ただ単に存在するということと、その存在が他者に認知されること、そして受け入れられるということは別物である。シマとレオの必要最低限の会話だけから、ハルの過去から現在に至る苦悩と懊悩の全てが見えてくる。ハルとレオの interaction の一部には重要な示唆が含まれている。それはLGBTもパートナーを選ぶということである。当たり前だが、ノーマルな男が全ての女性を恋愛の対象(≠欲望の対象)にするわけではないし、ノーマルな女性が全ての男性を恋愛対象にするわけでもない。それと同じことである。本作はハルとレオという対照的な人物の繋がり方を映し出すことで、我々がいかに人間関係を恋愛感情や肉体関係でもって規定したがっているのかを逆説的に炙り出す。ハルとレオは我々が期待するような関係で結びついているわけではない。にも関わらず我々は彼女らのユニットの存続を心から願ってしまう。この脚本、そして演出は見事である。唸らされる。

 

シマを演じた成田凌は、私的2019年国内最優秀俳優の認定は間違いのないところ。元ミュージシャンにして元ホストという雰囲気を確かに漂わせていた。それは、煙草を取り出した女性に即座にライターを差し出すところではなく、レオの恋慕を頑なに無視し、安易な肉体関係を結ぼうとしないところだ。また、ライブでもギターやタンバリンを演奏するところで、スポットライトを浴びようとしない佇まいも良い。そして演奏シーンで手元が移るのは、実はほとんど全部シマだったりと、音楽映画の音楽映画らしいところ、役者ではなく本当のミュージシャンですよ、と思わせたい部分の演出をほとんど一手に引き受けているところも渋い。一番スポットライトから遠い男が多分一番楽器の練習を積んできたのだろう。ハルレオのユニットメンバーの中で、おそらく最も劇的な変化を見せるのはシマであると思う。それはJovianが男性であることと無関係ではないだろうが、彼の人生において非常に重要なピースが入れ替わる瞬間の目の演技が素晴らしい。そして声も。言っていることと、心の中で思っていることが見事に一致していない。クズな男ばかりを演じてきた成田であるが、本作は期せずしてクズ男のビルドゥングスロマンとしても成立しているのである。かなりご都合主義的な展開もあるが、この着地の仕方にも唸らされた。

 

演出面では、各キャラの歩調に注目してみて欲しい。普通、誰かと一緒に歩いていると、歩調というのは合ってくるものだ。誰しも経験があるだろう。しかし、本作のハル、レオ、シマは見事に歩調が合わない

 

本作の肝は「さよならくちびる」というタイトルにもなっている楽曲である。そしてそのくちびるが誰のものなのかを、本作はオープニングのタイトルシーンで示唆する。くちびるというのは不思議なもので、くっつかないと出せない音声、離れていないと出せない音声がある。本作を見終わったら、ぜひ「さよならくちびる」の歌詞を意味を考察してみて欲しい。そこには豊穣な意味の世界が広がっていることを約束する。

 

ネガティブ・サイド

歌詞を画面にスーパーインポーズする演出は個人的には好ましくなかった。ハルが作詞に使っているノートをアップにするか、もしくはスーパーインポーズするにしても字体をハルの筆跡に近いものにしてほしかった。そうすればもっと彼女たちの音楽や歌詞の世界に入っていきやすくなったのにと思う。

 

またレオの痣が化粧であまりにも呆気なく消え過ぎである。いや、ステージ上でそれを消すぐらいは容易いのかもしれないが、車の中やレストランでまで綺麗に消えているというのは・・・ 途中でハルレオの追っかけファンである女子中学生ぐらいのペアが登場するが、その片方の子の歌唱力たるや・・・ ハルレオより普通に上手いのである。LGBTとしての生きづらさを抱えている自分が、ハルレオの楽曲によって救われたという実感を歌の形で吐露する非常に象徴的なシーンであるが、もうちょっと歌を普通に歌うようにディレクションできなかったのだろうか。

 

後は重箱の隅をつつくようで申しわけないが、シマの運転シーンである。背景が合成なのは構わない。ただ、それなりのカーブをゆるーく曲がっていくのに、ハンドルを全く動かさないというのはどうなのだろうか。直進の道路でやたらとハンドルをちょこまか動かすのも目に付くが、曲がるべきところではそれなりにハンドルを切ろうではないか。

 

総評

ボヘミアン・ラプソディ 』的なテーマと構成である。もちろん、映画の構想から実際の製作に要する時間を考えれば剽窃とは考えられない。むしろ、原案/脚本も務めた塩田監督の先見性、時代を読む慧眼に敬服すべきなのだろう。素晴らしい作品が世に送り出された。これは劇場鑑賞必須である。

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『 キラー・メイズ 』 -A typical rainy day DVD-

キラー・メイズ 50点
2019年6月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニック・スーン ミーラ・ロフィット・カンブハニ
監督:ビル・ワッターソン

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近所のTSUTAYAで準新作を108円で借りられるクーポンが定期的に使える。いつもなら劇場で見逃して、しかし新作料金を払うほどでないと思える作品を借りる時に使うのだが、『 パズル 』を借りてきた時のように、Sometimes, I like watching garbage. だが本作はゴミと呼ぶほどの駄作ではなかった。

 

あらすじ

30歳近くになろうというのに定職もないデイブ(ニック・スーン)は、ある時段ボール箱で迷宮を作った。しかし、それは本物の迷宮になってしまい、デイブは迷子になる。そんなデイブを救出する為、ガールフレンドのアニー(ミーラ・ロフィット・カンブハニ)はデイブの悪友たちと共に段ボール箱の迷宮に足を踏み入れるが・・・

 

ポジティブ・サイド

とてもオーガニックな作りである。誰しも小さな頃、段ボールで出来た迷路や迷宮で遊んだことがあるだろう。それを題材に映画を作ったと思えば良い。しかし、そこには監督や脚本家の識閾下に眠っていた、あるいは彼ら彼女らが常日頃から愛してやまない数々のガジェットが詰め込まれている。迷宮といえばミノタウロスというのはPSゲームの『 ファイナルファンタジーⅧ 』や、漫画『 ミキストリ -太陽の死神- 』でもお馴染みだろう。また、『 スター・ウォーズ エピソード4 / 新たなる希望 』のワンシーンのパロディ的なものや『 ナイト ミュージアム 』へのオマージュ、『 キューブ 』を思わせるトラップの数々に、『 スーパーマンⅢ 電子の要塞 』的なキャラクター変化もある。そして全体的なスラップスティック・コメディ的なノリとミノタウロスからの逃走劇は、『 グランド・ブダペスト・ホテル 』の同工異曲。こういう作品の作り手に作家性やメッセージを求めてはいけないのである。自分の心の赴くままに作ってみたら、こんな風になりました、というものを、受け手側としては素直に評価するのみである。

 

それにしてもヒロイン(それともヒーロー?)を演じたミーラ・ロフィット・カンブハニは、その名前と容貌からインド系であることが推察されるが、彼女は美女である。『 PK 』のアヌシュか・シャルマは西欧的な美女であるが、カンブハニは『 パドマーワト 女神の誕生 』のディーピカー・パードゥコーンのようなインド系、アジア系、オリエント系の美女である。テレビへの出演経験が豊富なようだが、もっと銀幕に出てきてほしいもの。

 

デイブの悪友キャラもそれなりに立っている。特に撮影の男はほとんどしゃべらない代わりに、否、それゆえか、しゃべる時に残すインパクトは絶大である。また、その他の眼鏡キャラ二人にも、”Don’t wear glasses, or you’ll look like effin’ nerds.”という言葉を送ってやりたい。素晴らしく陳腐なキャラである。これは褒め言葉である。

 

そうそう、序盤のとあるキャラの怪我が、終盤に残された素朴な疑問への答えになる。なかなかに良く練られた構想、そして脚本である。

 

ネガティブ・サイド

映画そのものの罪ではないのだが、原題の“Dave made a maze”に『 キラー・メイズ 』なる珍妙な邦題を奉ってしまうのは何故なのだ。毎年夏頃になるとわんさか出てくる低級お馬鹿ホラー映画と見せかけて、シチュエーション・スリラーチックなコメディだったではないか。Dave made a maze. というのは、I like Ike for President.のような言葉遊びなのだ。「メイズ メイズ メイズ」のような悪ふざけタイトルか、「デイブが作った迷宮」、「メイズ・ランナー 段ボールの迷宮」のような、さらに悪乗りしたタイトルでも良かったのでは?

 

ストーリーもかなり単調である。スティーブン・キング原作のテレビ映画『 ランゴリアーズ 』並みに象徴的な lady parts が現れる。これがデイブの深層心理であるというなら、アニーともっとお互いをさらけ出すよう口喧嘩シーンがあってもよかった。デイブとアニーの恋人感がどうにも弱いのだ。デイブと悪友たちとの狎れ合いは上手い具合に描けている。こういう不器用な男、自己効力感の低そうな男が、愛する人からの叱咤激励を受けて一皮むけるシーンがないのが実に悔やまれるところである。

 

総評 

雨の日の暇つぶしに最適な一本である。それ以上でもそれ以下でもない。梅雨のこの時期に何もすることが無いと言う時に、近くのレンタルビデオ店、またはストリーミングでどうぞ。

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『 クリミナル・タウン 』 -凡百のクライム・サスペンス-

クリミナル・タウン 30点
2019年6月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート クロエ・グレース・モレッツ
監督:サーシャ・ガバシ

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アンセル・エルゴートクロエ・グレース・モレッツの共演ということで、劇場公開時に何度かなんばまで観に行こうと思っていたが、どうにもタイミングが合わなかった。そして当時の評判も芳しいものではなかった。だが、評価は自分の目で鑑賞してから下すべきであろう。

 

あらすじ

ワシントンDCの一角で、男子高校生が射殺された。警察が捜査するも、その方向性がアディソン(アンセル・エルゴート)には的外れに見える。業を煮やしたアディソンは独自に事件の捜査を進めていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianは2015年に、大阪市内でワシントンDCからやってきたアメリカ人ファミリーと半日を過ごしたことがある(詳細は後日、【自己紹介/ABOUT ME】にて公開予定)。その時に、「DCの一角では毎日のように殺人事件が起きている」と聞いた。そうしたことから、本作には妙なリアリティを感じた。さっきまで普通に会話をしていた同級生が殺されたことに対する周囲の反応の薄さ、それに対するアディソンの苛立ち、若気の無分別による暴走を、アンセル・エルゴートはそれなりに上手く表現していた。

 

ネガティブ・サイド 

クロエ・グレース・モレッツ演じるフィービーというキャラは不要である。彼女の存在は完全にノイズである。86分という、かなり短い run time であるが、フィービーのパートを全カットすれば60分ちょうどに収まるだろう。はっきり言って脚本家が一捻りを加えることができずに、苦肉の策でアディソンとフィービーの初体験エピソードをねじ込んだのではないかと思えるほどに、ストーリーは薄っぺらい。

 

薄っぺらいのはアディソンの母親に関するエピソードもである。『 ベイビー・ドライバー 』とそっくりなのだが、母親の幻影をいつまでも追い求めているような心情描写も無いし、フィービーにセックスを求める一方で、母性を求めたりはしない。矛盾しているのだ。父親役のデビッド・ストラザーンも米版ゴジラ映画に連続で出演したりと、決して悪い俳優ではないが、高校生の父親役として説得力を持たせるにはかなり無理がある。年齢差があり過ぎる。

 

肝心の同級生ケビンの殺害の真相も拍子抜けである。というよりも、アディソンも気付け。友人の死と周囲の無関心に苛立つのは分かるが、死者を想い、死者を悼むために必要なのは、真相の追究ではなく、まずはその死を受け入れることだ。校長に突っ込みを入れるタイミングもワンテンポ遅れている。トロンボーンではなくトランペットであるならば、即座にそのことを指摘すべきだ。生者が死者を鎮魂するには、記憶を、思い出を持ち続けることが第一なのだから。

 

総評

ミステリとしてもサスペンスとしてもジュヴナイルものとしても非常に貧弱な作品である。何故こんな杜撰な脚本が通り、それなりに知名度も人気もあるキャストを集めてしまえるのか。そこにこそ本作再大のミステリが存在する。

 

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