Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 スタートアップ! 』 - 韓流・腕力コメディ-

スタートアップ! 55点
2020年10月24日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:マ・ドンソク パク・ジョンミン チョン・へイン ヨム・ジョンア
監督:チェ・ジョンヨル

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序盤はコメディ色が強めだが、終盤はやはり腕力で全てを解決売る展開に。ある意味予想通りの作りである。シネマート心斎橋は9割以上の入り。『 鬼滅の刃 無限列車編 』も熱いが、韓国映画、そしてマ・ドンソクも固定客をガッチリと掴んでいる印象。

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あらすじ

テギル(パク・ジョンミン)とサンピル(チョン・へイン)の悪童連は、大学にも予備校にも行かず自堕落な日々を過ごしていた。サンピルはカネを稼ぐために就職するが、そこはヤクザの高利貸しだった。一方のテギルも地元を飛び出し、偶然に立ち寄った中華料理屋で異彩を放つ料理人、コソク(マ・ドンソク)に出会うが・・・

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ポジティブ・サイド

しょっぱなから主人公のテギルが殴られまくる。まずはヨム・ジョンア演じる母親からビンタを食らいKOされる。そして、謎の赤髪サングラス女子にもボディーブローでKOされる。極め付きは住み込みバイトをすることになった中華料理屋でもマ・ドンソク演じるコソク兄貴にもKOされる。いったいどこまで殴られるんだ?さらにこいつはどれだけ打たれ強いんだ?と、笑ってしまうほどに思わされる。しかし、住み込み初日明けの朝、逃げ出そうとするテギルにコソク兄貴が、拳ではなく言葉で語ってくる。それによって、殴られるよりも効いてしまうテギル。負け惜しみで「逃げるんじゃねえ。ウンコに行くだけだ」と言うのだが、このセリフが終盤のちょっとした伏線になっているのはお見事。

 

このテギルとコソク兄貴の関係を軸に、多種多様な人間関係が描かれていくが、実は彼ら彼女らは皆、社会のメインストリームから外れた者たちである。つまり、本作は「連帯」を描いているわけだ。社会の一隅には、こんな人たちがいる。しかも健気に生きている。そこにヤクザ者や半グレ集団が絡んできて、そしてそのヤクザ者の中に旧知の間柄の人物が・・・という、ある意味では陳腐な物語ではある。だが、非常に示唆的だなと感じたのは、弱い立場の人間を虐げる者の中にも、実は弱い人間がいるということ。誰も初めから弱者を虐げ搾取しようなどとは思わない。ヤクザの高利貸しがドスを効かせて言う「どんな仕事も長く続ければ、それが天職になるんだ」というセリフには、そうしたヤクザ者たちも最初はその仕事を嫌がっていたということが仄めかされている。

 

なんだかんだで最後はマブリーが腕力と胆力で解決するわけだが、テギルとサンピルの悪ガキコンビの成長も併せてしっかり描かれている。また、それを見守る中華料理屋のオーナーの渋みと深みよ。この人、『 エクストリーム・ジョブ 』のチキン店オーナーだったり、『 暗数殺人 』のマス隊長だったりと、見守る役を演じさせると天下一品だなと感じる。日本で言えば『 風の電話 』の三浦友和の雰囲気に通じる。陳腐な人間ドラマではあるが、感じ入るものがある。マ・ドンソクのファンなら観ておきたい。

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ネガティブ・サイド

テギルとサンピルのキャスティングは、逆の方が良かったのでは?これはJovianの嫁さんも同感だったようである。イケメンが反抗期で、ケンカの腕もたいしたことないのに、ところかまわず生意気盛りにケンカを売って殴られまくる方がより笑えるように思う。絵的にも、生傷が絶えない金髪テギルの方が借金取りに似合っている。というか、この男、DNA的に菅田将暉と遠い共通のご先祖様を持っている・・・???

 

テギルの母が元バレーボール選手という設定もあまり活きていない。ビンタよりも脳天唐竹割りの方がバレーのスパイクと似ているし、絵的にも笑えるのではないかと思うが、いかがだろうか。

 

個人的にはマ・ドンソクのおかっぱ頭にはそれほど笑えなかった(TWICE好きでノリノリで踊るには笑ったが)。いかつい風体の男が、目を開けて寝たり、中華鍋を華麗に振るったりするだけで十分にギャップがある、つまり面白い。おかっぱ頭はビジュアル的にはインパクトがあるが、それなしで勝負することも十分にできたと思うのだが。結局、最後はいつものマ・ドンソクに戻るわけだし。

 

社会的弱者の連帯を謳った本作であるが、未解決の問題も数多く残されたままストーリーは完結する。もっと荒っぽくてもよいので、無理やりにでも大団円にできなかったか。一部の問題は、まるで最初から存在しなかったかのようですらある。

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総評

序盤のギャグには面白いものとつまらないものが混在している。『 エクストリーム・ジョブ 』は劇場内のあちこちから「ワハハ」という声が聞こえてきたが、本作はそこまでではない。ちょこちょこ「クスクス」という笑いが漏れてくる程度だった。もっと振り切った笑いを追求できたはずだし、あるいはもっと容赦の無いバイオレンス描写も追求できたのではないか。マ・ドンソクの魅力やカリスマに頼りすぎた作品という感じがする。ファンなら観ておくべきだが、コメディ要素を期待しすぎると少々拍子抜けするかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

サスペクト 哀しき容疑者 』でも紹介した表現。意味は「てめえ、この野郎」ぐらいだろうか。本作でも何十回と聞こえてくる。邦画でここまで罵り言葉を連発するのは北野武映画くらいか。

 

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『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

シカゴ7裁判 85点
2020年10月21日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン サシャ・バロン・コーエン ジョセフ・ゴードン=レヴィット
監督:アーロン・ソーキン

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同僚のカナダ人とイングランド人が絶賛していた本作。“You must watch it.”と言われたからには観るしかない。Don’t get your hopes up.と自分に言い聞かせながら鑑賞した。これは年間最優秀映画候補の筆頭である。それほどのインパクトを感じた。

 

あらすじ

1968年、シカゴ。平和的な反戦抗議デモの参加者が民主党大会の会場を目指していた。だが、ふとしたきっかけで警察とデモ参加者が衝突、多数の負傷者が出る。デモの首謀者として逮捕、起訴された7人の男たちは裁判にかけられた。果たして彼らは無罪を勝ち取れるのか・・・

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ポジティブ・サイド 

2020年10月に公開(Netflixだが)されるということは、普通に考えれば映画の撮影はその約1年前。つまり、Black Lives Matter運動の発生以前。1960年代の事柄なので、構想自体は10年前に既に持っていたとしておかしくないが、それでも映画化に実際に動けるのはさらに1~2年前の2017~2018年頃だろうか。この時点でアメリカや香港のような極めて大規模な民衆主導のデモが発生するだろうということ、そしてその契機が警察などの固化権力がそれを暴力で鎮圧しようとしたことであったことを予見した映画人は『 ジョーカー 』の監督トッド・フィリップス以外にはアーロン・ソーキンぐらいだったのだろう。まさに炯眼である。

 

小難しい理屈は抜きにしても、本作は娯楽映画としても一級品である。オープニングのシークエンスからして、観客を一気に映画世界に引きずり込む。ベトナム戦争公民権運動のことなど全く知らないという人には厳しいかとも感じたが、さにあらず。ベトナム戦争に派遣される兵士の数が「そんな馬鹿な」という勢いで増加していく。しかも、その映像がどこか明るくポップで、場面の移り変わりも小気味がいい。そしてマーティン・ルーサー・キングロバート・ケネディの死を、どこかしらコミカルな銃撃音で片づけてしまうところで、この軽妙なテンポはさらに勢いづく。エディ・レッドメイン演じるトム・ヘイデンやサシャ・バロン・コーエン演じるアビー・ホフマンが次々にセリフをつないで、「いざ鎌倉!」とばかりにシカゴを目指していく。この10分足らずのオープニング・シークエンスだけでも何回も観たい。

 

時の政権が変わって、これまでお咎めなしだったシカゴ7ともう一人の裁判が急遽開かれる。どこかの島国の政治家夫婦を思い出させるではないか。この裁判というのが、はっきり言って出来レース。それまで接点のなかった7人を、シカゴの暴動を共謀して扇動したという、まさに「共謀罪」で吊るし上げることを目的にしているからだ。この時の判事が完全なる耄碌じじいで、軽度の認知症、人種差別主義者、弱い者いじめ、夜郎自大、傲岸不遜と、なにどうやったら人間的にこれほど欠陥のある判事になれるのかという、分かりやすすぎるヴィランである。通常、法廷ものといえば『 エミリー・ローズ 』のように、ヴィランは検察官であろう。判事が明確に敵というのは、なかなか珍しい。このホフマン判事を演じたフランク・ランジェラの卓抜した演技力のおかげで、観る側は否応なくシカゴ7の面々に感情移入してしまう。そして、国家権力の志向する正義に疑念を抱き、個々人が心に秘める正義を後押ししたくなる。それこそが本作を現代に放つ意義、監督からのメッセージである。

 

それにしても本作の検察および警察のやり口の汚さには辟易させられる。コミカルな序盤に、サスペンスフルな中盤の法廷闘争。判事の横暴だけではなく、検察の仕掛ける場外乱闘に、緊張が一気に高まっていく。それによってシカゴ7+1の代理人を務めるクンスラー弁護士の人間味と正義感が際立っている。まさに市井の弁護士という感じだが、それに対峙するエリート検察のジョセフ・ゴードン=レヴィットが、冷静冷徹ではあるが冷酷ではない、国家権力を振りかざせる立場にありながら自制心を有している。この二人が証人に対して尋問を行っていくシーンの数々は法廷ものとして見ても素晴らしい出来栄え。

 

クライマックスには心震わされた。この裁判はそもそも何を争っているのか。流血沙汰の暴動を扇動したのはデモ隊なのか警察官なのか。しかし、デモはそもそも何故組織され、行われたのか。それは、ベトナム戦争というアメリカ史における汚点(と敢えて言う)、その無益な戦傷者と戦死者のためである。国権の発動たる軍事力の行使への不信、そして国権の一角である司法への不信。アメリカ近代史の事件を描いた本作であるが、それが今日、このタイミングで公開されることの意義は大きいし、日本に住まう我々にとっても大いなる衝撃を持って迫ってくる作品である。

 

ネガティブ・サイド

シカゴ7+1であったボビー・シールの物語をサブプロットに上手く組み込めなかったのかと思う。彼の所属するブラックパンサー党への関心やその歴史的解釈や再評価への機運が、映画『 ブラックパンサー 』の公開および主演のチャドウィック・ボーズマンの急逝で高まっているからである。

 

トンデモ判事のその後の歴史的評価はまったくもって思った通りだったが、ジョセフ・ゴードン=レヴィット演じたシュルツ検察官のその後についても知りたかったと思う。

 

総評

政治サスペンスとしては『 女神の見えざる手 』と並ぶ作品で、法廷闘争劇としては『 判決、ふたつの希望 』に次ぐ大傑作である。米大統領選を前にNetflixで公開されたが、『 アイリッシュマン 』の時と同じく、こうした映画を上映してくれる劇場がある。検察官に正義感や良心はあるのか。判事に公正かつ中立的な判断力はあるのか。警察は自制心を持っているのか。本作の描く歴史を他山の石とできるかどうかが日本の分かれ目である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a contingency plan

emergency=「緊急事態」はTOEIC650点レベルの人なら8~9割は知っているだろうが、contingency=「不測の事態」となると、TOEIC800点レベルだろうか。しばしば、“Always have a contingency plan.”=「常に不測の事態に備えておけ」という警句の形で使われる。原発事故後は政府や東電が「想定外」という言葉を何とかの一つ覚えのように使っていたが、アホな政治家やインフラ事業者に対するcontingency plansを我々庶民は持てないのだろうか。

 

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『 鬼ガール!! 』 -大阪人、観るべし-

鬼ガール!! 80点
2020年10月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:井頭愛海 板垣瑞生 上村海成 桜田ひより
監督:瀧川元気

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2019年の夏ごろに関西ローカルのテレビ番組で撮影終了が報じられていたのをたまたま目にした。それ以来、ずっと気になっていた作品。映画館が『 鬼滅の刃 』を観に訪れる人でごった返す中、「鬼は鬼でも、俺は『 鬼ガール!! 』を選ぶぜッ!!」とばかりに意気揚々とチケットを購入。自分の勘は間違ってはいなかった。穴ぼこだらけのストーリーだが、それらを吹っ飛ばすパワーを本作は秘めている。

 

あらすじ

鬼と人間の間に生まれた鬼瓦ももか(井頭愛海)は、高校デビューを目論むもあえなく失敗。しかし、ひょんなことから幻と呼ばれた「桃連鎖」の脚本を見つけ、その映画製作に携わることになった・・・

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ポジティブ・サイド

大阪人の役は大阪人が演じるのが一番いい。『 君が世界のはじまり 』の松本穂香がネイティブ関西人だったように、こてこての大阪人である井頭愛海が演じるももかの大阪弁は、当たり前ではあるが見事だった。

 

冒頭で、ももかの父を演じた山口智充こぶとりじいさんネタ、そして末成由美の「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー」、これだけで鬼の実在する世界と大阪のお笑い空間の両方に同時に入り込めた。この掴みは素晴らしい。関西人なら一発で世界観を理解できる。

 

本作は映画を作ろうとする人々についての映画である。こう表現すると上田慎一郎的に思えるが、本作監督の瀧川元気もこれが長編デビュー作。新人監督らしいストレートな欲求と、新人らしからぬ緻密な計算の両方を詰め込んでいる点も上田慎一郎的である。

 

ストーリーは単純明快。鬼であることを隠しながら、輝く青春時代を送りたいと願う女子高生の物語である。そこに友情と恋愛、そして家族愛が織り込まれている。本作で描かれる鬼とは何か。Jovianは岡山にそれなりに縁があるので、桃太郎の物語の原型をよく知っている。鬼とはつまり異人、つまり異能・異才の人であり、外国人である。興味のある向きは「吉備津彦と温羅」でググってほしい。または、「鬼ドン」に使われたオブジェを街中で探してみよう。大阪にはとあるプロ野球チームのファンが多いから、すぐにそれを見つけられるだろう。そして、そのプロ野球チームの名前、それが指す動物が何であるのか、どこから来たのか、何を象徴しているのかを考えてみよう。いやはや、何とも文化的・社会的な含蓄に富んだ作品を送り出してくるではないか。

 

高校デビューに盛大に失敗したももかだが、ふとしたことから映画部で映画を作ろうとするイケメン神宮寺にオーディションに誘われたところから、数奇な運命の糸車が回り始める。板垣瑞生演じる蒼月蓮とあれよあれよという間に映画を作る流れになるが、監督は早く映画作りを撮りたくて、我々はな役映画作りのシーンを観たくて、多少のシーンのつながりの粗さやキャラクターの深掘りなどには目をつぶって、一気に撮影の手前まで進んでいく。ももかの妹や弟の習い事や父母のバックグラウンドが映画製作に結びついていく流れも、強引ではあるが、納得できる作り。桃太郎的なノリで仲間を集めていくのは、まさに大阪ならでは。

 

終盤の展開は、まさにシネマティック。何故「桃連鎖」が幻の作品となったのか。そして現代においても、何故普通の映画祭では「実現の可能性が低い」として落選させられたのか。このあたりの謎を最後まで引っ張りながら、クライマックスで一気に爆発させる手法は、新人監督らしい一点突破だ。自らの失策もあり旬は過ぎてしまったが、まさに大阪の顔という人物が登場するのは、全国的にもかなりのインパクトだろう。映画と現実がシンクロし、鬼と人間の思いが交錯する最後の瞬間に訪れる謎の感動は、まさに筆舌に尽くしがたいものがある。

 

エンドクレジット終了後にオマケが入るので、席は最後まで立たないように。

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ネガティブ・サイド

ももかが蓮に感じていた過去のトラウマとも言うべき因縁を、あまりにもあっさり乗り越えるところが気になった。いじめ、差別、迫害。これらはした側は忘れていても、された側は覚えているものである。ももかの感性を揺さぶる、あるいは蓮というキャラクターの見方を大きく変えるような契機となる演出が欲しかった。

 

主役級の中では桜田ひより大阪弁がダメダメである。売り出し中の今だからこそ、もっと役作りに精進すべきだと言っておく。

 

ももかの父親と蓮の父親が同級生で、「桃連鎖」を製作しようとしていたのはいい。だが、せっかく再会と(映画作りの)再開を祝して二人で飲んでいる時に、もう少し「桃連鎖」に関するトークがあっても良かったのではないか。

 

南海電車の色・・・にツッコミは野暮というものか。海側を走る電車が、たまには山側を走っても良いではないか。

 

総評

はっきり言って、細かい粗はめちゃくちゃたくさんある作品である。だが、本作の描く青春の在り方、家族の在り方、友情の在り方、恋愛の在り方は、自分と異質な人間とどう向き合うのか、どう付き合っていくのか、またはどう戦っていくのかについて大いなる示唆を与えている。比較的稚拙なカメラワークも「高校生が自主製作映画を作っている」ように見せるための狙った演出なのだろう。マイナス面すらもプラス面に感じさせてしまう謎のパワーが本作にはある。そのパワーが何であるのかは劇場で体感してほしい。関西人、特に南大阪人は必見であろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

leave someone alone

~を一人にしておく、の意味。パパラッチに追い掛け回された故ダイアナ妃の最期の言葉が“Leave me alone.”だったと言われている。劇中でとあるキャラクターが「一人にしてくれ」と言ったと思しきシーンがあるが、誰でもそう感じてしまう瞬間というのはある。既婚男性なら妻に“Could you leave me alone for a while, please?”と言いたくなることも年に一度はあるだろう。周囲の人に構ってほしくないという時に使ってみよう。

 

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『 みをつくし料理帖 』 -サブプロットをもう少し整理すべし-

みをつくし料理帖 70点
2020年10月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松本穂香 奈緒
監督:角川春樹

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ハルカの陶 』や『 僕の好きな女の子 』の奈緒、『 わたしは光をにぎっている 』や『 君が世界のはじまり 』の松本穂香が出演している。それだけの理由でチケット購入を決定。テレビの時代劇は10数年前に韓流に押し流されたが、銀幕の世界の時代劇はまだまだ踏みとどまっている。

 

あらすじ

享和年間。大坂の地で幼馴染として育った野江(奈緒)と澪(松本穂香)。数奇な運命に翻弄され、野江は花魁に、澪は丁稚の料理人として江戸にあった。互いがそこにいることも知らずに・・・

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ポジティブ・サイド

最初の舞台となる天神橋は、Jovianの職場の文字通り目と鼻の先である。それだけで親近感が湧いてくるのだから現金なものである。

 

本作はまず東西文化論として、話がよくよく練られている。上方は薄味、関東は濃口という特徴を上手く説明している。いまでも大阪、特に天満あたりの乾物屋や包丁研ぎには「日本の庶民の味の原点は昆布なんやで」と言い切る人が多い。Jovianもその意見に賛成である。関西と関東の文化を比較対照しながら、それらをケンカさせずに上手く融和させる澪の手腕は、現代社会に対してもなにがしかを訴えかけてくる。

 

上方と江戸の味を見事に融合させた澪がつるやを繁盛させていく様は爽快である。それまで澪の料理に辛辣だった馴染みの客たちがコロッと手のひら返しをするところは痛快ですらある。江戸っ子というのは関西人、なかんずく京都人に比べると単純ですなあ。大阪人は計算高さがあるが、それをおくびに出さない。そのあたりの澪の葛藤のようなものを、窪塚洋介演じる武士・小松原が適度にガス抜きしてやるのも一種の様式美になっていて心地よい。藤井隆演じる滝沢馬琴的な戯作家も、江戸っ子と関西人を足したようなキャラクターで、映画の空気にマッチしていた。

 

本作は松本穂香のこれまでの出演作の中でベストであろう。特に、一通の簡素な手紙ですべてを悟った澪の表情、そしてその後の剣幕は演技面でも彼女の白眉。野江との再会シーンの「コーンコン」のシャレードは、様々な人に支えられながら気丈に生きている澪が、それでも心の奥底で最も頼りにしていたのは野江だったことを何よりも雄弁に物語っていた。そしてそれは野江にしても同じ。芸妓・遊女の最高峰の太夫となっても、その心の奥底にいるのは常に天満橋の野江ちゃんである。故郷の味、そして幼少期の味が、彼女を現実の世界につなぎとめているのかと思うと、それだけで胸がつぶれそうに思えてくる。

 

料理のビジュアルも美しいし、長屋町や遊廓の再現度も悪くない。主役級の二人の脇を固める俳優たちが、誰も出しゃばってこないのもいい。背景知識が全くなくても、目の前のキャラクターに十分に感情移入できる。時代劇はまだ死んではいない。

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ネガティブ・サイド

細かいツッコミから始めるなら、小松原様の2度目か3度目のつるやからの退場シーン。提灯を持って帰るのを忘れておりますぞ。

 

いくら洪水後の混乱の炊き出しの場とはいえ、いきなり子どもを連れ去るごりょんさん、これでは人さらいと変わらないではないか。実際にそのように連れ去られ売り飛ばされたのが野江なのだろうが、だからこそ澪はしっかりとした人に引き受けられていったというシーンにすべきだった。おそらく小説やドラマ版に慣れ親しんだ人向けにダイジェスト的にまとめたのだろうが、映画から入った人間には、ごりょんさんも人さらいに見えてしまいかねない。幼い澪の名前や素性を尋ねるぐらいはすべきだった。

 

元々は大部の小説、そして連続テレビドラマだったものを2時間少しの映画にするのだから、ストーリーの軸をもう少し固めた方が良かった。小松原との師弟関係的な淡いロマンスなのか、源斉との地に足の着いた関係の発展なのか、それとも登龍楼との対決なのか、つるやの継承とさらなる発展なのか。澪と野江との関係は不動のメインプロットで、サブプロットをどのように組み立てるのかに、もう少し脚本および監督は神経を使ってもよかった。

 

総評

居眠り磐音 』は世間的な評判は散々だったが、Jovianは面白いと感じた。本作も同じで、テレビドラマ版にあまり馴染みがないので、そのぶん素直に本作を受け止めることができた。確かに粗が見えないわけではないが、江戸の庶民の暮らしぶりや故郷を遠く離れた人間の郷愁の念、なによりも一途な友情がストレートに描かれている。奇をてらった邦画が量産される中、本作のような真っ正直な作品は逆に貴重ではないか。時代劇だからと敬遠せず、多くの映画ファンに観てほしい作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

save one’s life

日本語には「命の恩人」という名詞句が存在するが、英語にはそれにあたる名詞および名詞句は無い(少なくともJovianの知る限りは)。そのように表現したい場合はシンプルにsave one’ lifeを使う。

 

あなたは命の恩人だ。

You saved my life.

 

映画やドラマでかなり頻繁に使われている表現なので、少し意識すればどんどん聞こえてくるだろう。

 

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『 22ジャンプストリート 』 -シュミット&ジェンコよ、永遠なれ-

22ジャンプストリート 60点
2020年10月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル チャニング・テイタム
監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー

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21ジャンプストリート 』の続編にして完結編。前作と比較すれば若干パワーダウンしているが、暇つぶしに観る分には全く問題ない。監督としてのジョナ・ヒルはまだまだこれから花開いていくのだろうが、俳優としてのジョナ・ヒルの真価はコミック・リリーフであることだ。

 

あらすじ

ジェンコチャニング・テイタム)とシュミット(ジョナ・ヒル)の凸凹コンビが、麻薬捜査のために今度は大学に潜入する。売人と思しき男を見つけ、供給元を探り当てるミッションのはずが、ジェンコフットボールの才能を開花させてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

前作と同じく、古今の映画やドラマをネタにしまくるのは、単純ではあるが、やはり楽しい。メタなネタではチャニング・テイタムが「俺はいつかシークレット・サービスになって大統領を警護するんだ」という不発作『 ホワイトハウス・ダウン 』をジョークの種に使ってしまうところが特に面白い。

 

大学潜入後も基本的のノリは前作と同じ。二人なりに必死に捜査はするものの、いつの間にやら大学生活が楽しくなってしまい、大学に残って人生をやり直そうかなと感じてしまうジェンコは、滑稽ではあるが、観る者の共感を呼ぶ。

 

前作ではロマンス方面で最後までシュミッ行けなかったシュミットも、今作ではいきなり美女とベッドイン。確かにアメリカの大学の寮には、こういうノリがある。その相手の美女の正体というか、とあるキャラクターとの関係が判明した瞬間には、文字通りの意味で時が止まったかのように感じた。『 スパイダーマン ホームカミング 』によく似た構図があって、その時も肝をつぶしたものだが、この元ネタは本作だったのかもしれない。色んな映画をネタにしている本作がネタにされるというのも、それはそれで愉快ではないか。

 

警察官としての捜査もそれなりに見応えがあるし、中盤のコペルニクス的転回も悪くない。終盤は『 スプリング・ブレイカーズ 』的なビジュアルとストーリーで眼福である。ジョナ・ヒル演じるシュミットのラスボスとの格闘シーンは意味不明すぎるバトルで、笑ってしまった。クライマックスもコメディ映画ならではの力業で、謎のカタルシスをもたらしてくれる。なによりもエンディングが秀逸だ。前作でも続編を予感させる終わり方だったが、続編たる本作はまさに完結編。完璧なまでのクロージングである。

 

ネガティブ・サイド

前作では、高校時代に不遇をかこったシュミットがどちらかというと主役だったが、今作ではジェンコが青春(というか高校潜入捜査)を取り戻そうとするところに違和感を覚えた。前作で仲良くなったナード連中が登場したから、余計にそう思う。

 

シュミットがそうしたジェンコに愛想を尽かしそうになってしまうのもどうかと思う。パートナーはパートナー、友人は友人と割り切ることができる大人のはずだ。特に警察官や軍人などはそうだろう。いけ好かない相手であってもミッションとなれば協力するものだ。ならば、自分の相棒が多少誰かと親しくなっても、それも職務上のことだと割り切るべきだ。このあたりの二人の仲の微妙な揺れ動きに説得力がなかった。

 

エンディングの続編ネタの連続スキットはこの上なく楽しめたが、最後の最後のシーンは蛇足だった。

 

総評

ジョナ・ヒルチャニング・テイタムのファンであれば前作と併せて鑑賞しよう。『 レディ・プレイヤー1  』には劣るが、古今の映画へのオマージュやネタに満ち溢れていて、クスリとさせられる場面からゲラゲラ笑えるシーンまである。バディものとしての面白さも健在。コメディ好きならレンタルもしくは配信で視聴する価値は十分にある作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

two peas in a pod

直訳すれば「一つのさやの中の二つのえんどう豆」で、意味は「瓜二つ」または時に「絶妙のコンビ」、「一心同体」のような意味で使われることもある。劇中ではズークとジェンコのアメフトコンビ二人を指して、実況が“These two guys are peas in a pod.”のような言い方をしていた。

 

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『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

望み 75点
2020年10月11日 MOVXあまがさきにて鑑賞
出演:堤真一 石田ゆり子 岡田武史 清原果耶
監督:堤幸彦

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十二人の死にたい子どもたち 』でも述べたが、堤幸彦監督は良作と駄作を一定周期で生み出してくる御仁である。本作は良作である。安心してチケットを買ってほしい。

 

あらすじ

規士(岡田武史)は怪我でサッカーを辞めてから、悪い連中と付き合うようになってしまったらしい。冬休みの終わり、ふらっと家を出た規士は、そのまま家に帰ってこなくなった。そして、規士の同級生が殺害されたとのニュースが。犯人は逃走中。そして、もう一人被害者がいるとの情報も。規士は加害者なのか、それとも被害者なのか・・・

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ポジティブ・サイド

これは『 ひとよ 』に勝るとも劣らない良作である。母が殺人者だったら、そして母が殺したのが父だったら、残された家族はそれを赦せるのか、赦せないのかを『 ひとよ 』はドラマチックに描き切った。本作は、息子が殺人者なのか、それとも息子は殺害されてしまったのか、という究極のジレンマに引き裂かれる家族の姿を実にリアルに映し出した。

 

堤真一演じる父親は、息子が殺人者であってほしくはない、むしろ被害者であってほしいと願ってしまう。一方、石田ゆり子演じる母親は、息子が生きているのなら殺人犯であってくれて構わないと願っている。どちらかが正解であるとは言えない。息子が罪を犯していようがいまいが、自分の元に帰ってくれさえすればいい。そうした母親の狂気にも似た執念を我々は『 母なる証明 』に見た。石田ゆり子は世間を敵に回しても息子を愛する母親像を打ち出した点で、篠原涼子や吉田羊らの同世代から一歩抜け出したといえるかもしれない。

 

堤真一も魅せる。父親として、息子を信じているからこそ、殺人などありえない。そんなことをするわけがないし、できるはずもない。だから被害者の側だろうと考える。それは残酷と言えば残酷だが、息子を心から信頼しているとも言える。それも一つの愛情の形だろうし、そこに正誤も優劣もない。自宅前に押し掛けるマスコミに対しても真摯に対応するし、マスコミの誘導に引っかかって声を荒げてしまうのは、裏表のない人間性の表れである。

 

それにしても、本作に描かれるマスコミのウザさ加減よ。これは取りも直さず昨今の本邦のマスコミの低レベル化への痛烈かつストレートな批判だろう。報道とは面白可笑しく行うものではないし、取材とは物語を構築するために行うものではない。メディアは事実の確認(いわゆるファクト・チェック)をまず行うべきであって、都合の良い情報ばかりを提示して、視聴者を躍らせてはならないのだ。そう、一般人もある意味で同罪である。コロナ禍の最中にある今、自粛警察だとかマスク警察だとかが跋扈し、偏狭な正義感から他者を叩くことを是とする人間が増えた(というよりも可視化された、と言うべきか)。本作はそうした日本人の残念な習性を見事に先取りして映し出したと言える。他にも『 白ゆき姫殺人事件 』が描き出したSocial Mediaの中の無数の無責任な発言および発言者を、本歌取りするかの如く、より鮮やかに描き出した。我々は本来、無関係であるはずだが、そこであることないこと、好き勝手に書くことに慣れているし、そうした情報を受け取ることにも慣れ切っている。それがいかにグロテスクなことかを、監督や脚本家、原作者は糾弾している。

 

いやはや、最近の邦画では珍しいまでに人間の在り方を直截に描き出し、人間の心情をとことん抉り出した傑作である。

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ネガティブ・サイド

あまりに警察が無能すぎる。これはちょっとどうかと思う。警察をとことんコケにするのが様式美になっている韓国映画ではないのだ。普通なら、刃物の存在について父が証言しているのだから、その刃渡りや形状と遺体の刺し傷を照合する必要があるし、その刃物の購入経路や購入者についても調べるはずだ。なによりも、父親が「私が預かっている」と明言しているにせよ、その現物を確認するだろう。それに、行方不明届けを提出することに決めたのなら、規士の部屋を一通り見て回って、行き先などの手がかりも探すだろう。生活安全課の元警察官のJovian義父が本作を観てどう思うか。

 

本作のラストの余韻も少々疑問である。『 ウインド・リバー 』のように、現実を拒絶するのではなく現実を受け入れたからこその結末なのだろうが、それにしても以下白字自転車の数が3台から2台に減るのは、さすがに物分かりが良すぎでは

 

ラストの俯瞰のショットも芸がない。監督自身の作風なのかもしれないが『 人魚の眠る家 』と瓜二つではないか。このような家族がこの世界にはきっとたくさんあるのだと言いたいようだが、ワンパターンなショットは頂けない。

 

総評

多少の弱点はあるものの、2020年の邦画では、まず白眉である。俳優陣の演技も堂に入っているし、音楽も情感をかき立てる。なによりも現代社会を撃つメッセージを強烈に放っている。我々自身をこの家族に置き換えて観ることもできるし、この家族を取り巻く関係者として観ることも、そして無責任な傍観者として観ることも可能である。いずれの見方であっても、本作はとても深く力強い印象を残すことだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

common sense

「常識」の意。しばしばhave common sense = 常識がある、use common sense = 常識を働かせる、という具合に使う。日本語の常識には「当たり前の知識」という意味があるが、こちらは「当たり前の感覚」というニュアンスである。劇中でとあるキャラクターが言う「常識ってもんをわきまえろ!」を試訳するなら、“Don’t you have any common sense?”(お前には常識がないのか?)になるだろうか。

 

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『 82年生まれ、キム・ジヨン 』 -男性よ、まずは自分自身から変わろう-

82年生まれ、キム・ジヨン 80点
2020年10月9日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:チョン・ユミ コン・ユ チョン・ドヨン
監督:キム・ドヨン

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大学の同級生たちがFacebookで原作書籍をベタ褒めしていたことから興味を持っていた。本当は本を読んでから劇場に向かうべきだったのだろうが、色々あってそれもかなわず。封切初日のブルク7のレイトショーは75%ほどの入り。その8割以上は仕事帰りと思しき20代と30代の女性たち。この客の入りと客層だけで、本作の持つ力が分かる。

 

あらすじ

ソウルの専業主婦のジヨン(チョン・ユミ)は家事に育児に忙殺されている。ある正月、夫の実家で過ごしている時に、ジヨンは憑依状態になってしまった。夫デヒュン(コン・ユ)は妻の身を案じて、心療内科への通院をそれとなく勧めてみるが・・・

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ポジティブ・サイド

これが韓国の1990年代から2010年代の韓国の空気なのか。まるで故・栗本薫中島梓)が『 タナトスの子供たち 過剰適応の生態学 』で喝破したように、女性は長じるに及んでアイデンティティを喪失していく。すなわち、「〇〇さんの奥さん」や「□□くんのお母さん」として認識されるようになる。日本人の栗本の1990年代の論考が、そのまま同時代から現代の韓国社会に当てはまることに驚かされる。自分というものを「誰かにとっての誰か」として認識せざるを得ない状況で、ジヨンが自分を「母の娘」であると認識するのは畢竟、自然なことだろう。序盤の夫の実家のシーンで統合失調的な症状を呈するジヨンの姿に、自分の母や叔母の姿を想起する男性は(劇場には少なかったが)きっと大いに違いない。なぜ夫の実家であるのに、赤の他人のはずの嫁がそこで率先して働くのか、疑問に思った人は多いだろう。Jovianも中学生ぐらいの頃にふと気が付いた。あまりにも当たり前のことが、実は当たり前でも何でもないのだ。

 

メインの登場人物に誰一人として明確な悪人がいないところが、本作を複雑かつリアルなものにしている。誰もジヨンを意図的に攻撃もしないし抑圧もしない。ただ、本人の思う価値観を出しているだけに過ぎない。痴漢に遭いそうになったことを指して「スカートの丈が短いのが悪い」というのは、確かにそういう面もあるのだろうとは思う。だが一方で、なぜスカートという形態の衣料品を女性は身に着けるのか。スカートだけではない。エプロンもそうだし、化粧もそうだ。極論すれば、マタニティ・ドレスすらもそうなのだ。特定の個人に抑圧者や差別主義者はいない。しかし、社会というシステムにそうした構造が抗いようもなく組み込まれている。ジヨンは個人としての生き方と社会的な役割の間のジレンマに引き裂かれる現代人(その多くは女性)の代表者なのだ。

 

一方で、現代の男性(夫、そして父親)を体現しているのはコン・ユ。『 トガニ 幼き瞳の告発 』、『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』でもチョン・ユミと共演したが、今回はついに夫婦役。このデヒュン、実に良い男で育児も積極的に手伝ってくれるし、妻を気遣う言動も忘れない。ああ、俺もこういう風にならなきゃいけないな・・・と思わせてくれる。それが罠である。どこがどう罠であるかは、ぜひその目で確かめて頂きたいと思う。一点だけ事前に念頭に置いておくとよいのは病院の待合室の光景。もし想像できないのなら、ぜひ大きな病院の待合スペースを覗いてきてほしい。女性は一人で受診しているが、男性はかなりの確率で伴侶と一緒である。これは日本も韓国も同じなようである。

 

それにしても韓国映画は母の愛を実に力強く描く。『 母なる証明 』は別格(というかジャンル違い)としても、母親も祖母の娘で、祖母も曾祖母の娘という視点は、当たり前であるが、新鮮だった。我々は安易に「母は強し」などと言うが、母とはその人間の全属性ではない。母とは妻でもあり、娘でもあり、それ以上に一個人なのだ。本作でもチーム長やジヨンの同僚など、女性たちの置かれている社会的な抑圧構造が詳細に映し出される。女性を女性性という記号でしか認識できないアホな男がいっぱい存在する中で、女性たちは実に個性豊かなバックグラウンドを持っていることがエネルギッシュに開陳される。そうした一連のストーリーを消化したうえで、ジヨンが職務に復帰するのを断念するシーンの悲壮さが観る者の胸に穴を開ける。そうか、これが女性の背負わされるジレンマなのか・・・と、我々アホな男はようやく気が付くのである。

 

本作は各シーンの隅々にまで神経が行き届いている。街中のちょっとした看板や、すれ違う人、景色の遠くぼやけて映る人影までもが、明確な意味を有している。特に、終盤にジヨンが路上でベビーカーを押すシーンの遠景に、もう一人ベビーカーを押す女性がぼんやりと見えている。そう、ジヨンはこの社会の至るところにいるのである。いきなり社会変革などする必要はない。アジアの文化の大親分の中国は儒教という抑圧的な道徳を生み出した。だが、その経典の一つに「修身斉家治国平天下」という遠大なる処世訓がある。まずは自分自身をしっかりしろ、そして家族で家のことを整えよ、そうすれば国が治まって、世界も平和になるということだ。社会や国家はそうそう変わらない。そのことは物語終盤で明確に主張される。だが、自分自身や家族は良い方向に変えられる。まずは「隗より始めよ」である。

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ネガティブ・サイド

ジヨンの弟も父親も、作劇的には非常に良いキャラである。つまり、悪いという意識がなく誰かを追い詰め、時に傷つけている。そうした二人が話し合うシーンが欲しかったと思う。男同士で、娘そして姉に対してどのように思い、どのように接してきたのか、あるいは接してこなかったのかを語らうシーンが欲しかった。実際に言葉を交わさなくてもよいのだ。なんらかの自省につながる話をしているのだと、観る側に感じさせる一瞬の演出だけでもよかったのだが。

 

ジヨンの憑依現象の第2番目に登場する人格は不要だったのでは?ジヨンに憑依してくる人格は常に誰かの母であった方が一貫性もあったし、その方が逆に怖さも際立ったものと思う。

 

総評

女性の生きづらさや息苦しさ、社会的・心理的な抑圧の構造をこれほど鮮やかに描き出した作品は稀ではないか。本作を観て、「俺も反省せねば」と思う韓国人男性は多いだろうし、それは日本人でも同じだろう。いや、「女の敵は女」を地で行くような国家議員数名が今も跋扈しているだけ、本邦の方が事態は深刻かもしれない。このご時世に劇場にやって来た多くの女性客、そして不自然なぐらいに少ないと感じた男性客の比率に、問題の根はより深く広く根付いているかもしれないと感じ取るのはJovianだけではないはず。芸術的な面では『 はちどり 』に譲るが、社会的なメッセージ性では本作が少し上だろう。男性諸賢、本作を劇場鑑賞すべし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オッパ

ジヨンが夫デヒュンに呼びかける際に使う表現。意味は「お兄さん」だが、血がつながっていなくても、親しい年上の男性に使うらしい。『 悪人伝 』では男同士の呼びかけにヒョンが使われていたが、オッパは女性→男性で使われるようである。何語であれ、語学学習は背景情報のリサーチと学習とセットで行いたい。

 

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