Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『ALONE アローン』 ―実存主義的な問いからのプレッシャーに如何に抗うか―

ALONE アローン 70点

2018年7月5日 シネ・リーブル梅田にて観賞

出演:アーミー・ハマー アナベル・ウォーリス トム・カレン

監督:ファビオ・レジナーロ ファビオ・ガリオーネ

 

*以下、少量のネタバレあり

 

 これはアーミー・ハマーの代表作になるのではないか、そんな印象を劇場でまず受けた。

ソーシャル・ネットワーク』では嫌な双子の両方を、『君の名前で僕を呼んで』では最初は少し取っ付きにくそうなあんちゃんを見事に演じてくれていたが、今作では意志の強さと肉体の強靭さ、そしてそれらに似合わない(というよりも、それらにふさわしい)人間性の持ち主を演じている。ふと、ジェームズ・P・ホーガンの小説『星を継ぐもの』のコリエルを演じさせるとすれば、それはアーミー・ハマーしかいない。個人的にはそう思えるほどだった。恐ろしいほどのハマり役である。『ベイビー・ドライバー』におけるアンセル・エルゴート並みにハマっているし、キマっている。

 あらすじでご存知の通り、砂漠で地雷を踏んでしまって動けない。救助まで52時間。なにをどうやって凌ぐのか。襲い来る砂嵐、夜の闇としじまに紛れて忍び寄る狼の群れ、容赦なく照りつける太陽、凍てつく夜の冷気、飢え、そして渇き。極限状況を生き延びるために必要なことは何なのか。この映画のキーワードに”Move on”というものがある。「前に進む」という意味だが、これは物理的に体を動かしてそうするの意と、出来事や話題を振り切って新しいものに向かって進んでいくの意、両方を持っている。足を一歩前に踏み出せないことで、ハマー演じるマイクは過去に踏み出せなかった数々の一歩が胸に去来する。陳腐ではあるが『モリーズ・ゲーム』や『ハクソー・リッジ』にも見られたような父親殺しもその中には含まれている。念のために言うが、犯罪としての殺人ではなく文学的・精神的な意味での父殺しである。また重要な狂言回しとしてベルベル人の男が登場する。彼は片言の英語でマイクの心の隙間を浮き彫りにする。それはこんな具合だ。

 

「なぜ地雷を踏んだ?」

『ここが地雷原だと知らずに迷い込んだからだ』

「なぜここに来た?」

『任務があったからだ』

「なぜ任務があった?」

『戦争だからだ』

「なぜ戦争に来る?」

『俺が兵士だからだ』

「なぜ兵士になった?」

『俺には守るべきものがもうないからだ』

 

(あくまで記憶を頼りにしているので、多少の不正確さはご容赦を)

 

ここで、序盤に散々ほのめかされていた恋人ジェニーとの関係、母との別離、その他多くのしがらみについて、観客は知ることになる。それでも一歩を踏み出せないマイク。それは本当はその一歩を誰よりも踏み出したかったからなのだ。ベルベル人の男の言葉に、マイクは自分でも気づいていなかった本心を知ることになる。第一次および第二次湾岸戦争に従事した兵士が帰国後PTSDを発症する率が異様に高かったとされるのは、戦場での悲惨な体験が一番の要因であると思われるが、極限的な状況に追い込まれることで、マイクのように過去のトラウマが一時に刺激されてしまうことも事由の一部としてあったのではなかろうか。お前は一体何者なのだという実存主義的な問いほど恐ろしいものは、実はこの世にはないのかもしれない。

 劇場鑑賞でもレンタルでもストリーミングサービスでも何でも良い。マイクの生のこの一瞬をぜひ追体験してほしいと思う。