Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『君が君で君だ』 -この映画に共感する人は犯罪者予備軍か熱心な映画ファンか-

君が君で君だ 65点

2018年7月19日 梅田ブルク7にて観賞

出演:池松壮亮 キム・コッピ 満島真之介 大倉孝二 YOU 向井理 高杉真宙 光石研

原作・脚本・監督:松居大悟 

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 韓国から日本にやってきたパク・ソンヨン(キム・コッピ)にストーカー行為をする尾崎豊池松壮亮)、ブラッド・ピット満島真之介)、坂本龍馬大倉孝二)の話である。以上、終わり。で、済ませてもよいが、それではあまりに芸が無いし、不親切であるし、記録にもならない。ストーカー映画というジャンルが映画において確立されているかどうかは寡聞にして知らないのだが、小説には傑作がいくつもある。Jovianの印象に強く残っているのは大石圭の『アンダー・ユア・ベッド』と吉村達也の『初恋』である。Amazonの関連商品を見るに、まだ他にもたくさんの未読の傑作がありそうだ。

 元々、ブラピが恋人に振られた日に、尾崎とやけくそカラオケをしていた店で働いていたのがソンヨン、通称ソンであった。その夜、繁華街で酔った勢いで誰かれ構わず難癖をつけて行くブラピと尾崎は、女性に絡むチンピラに勢いで特攻する。当然返り討ちにあうわけだが、ソンがビール瓶を割って、男たちを脅かすことで事態は収拾。怪我で流れた血をハンカチで拭ってくれたソンに、二人は一気に恋に落ちる。そこにソンの元彼の坂本龍馬も加わり、ソンの家の裏手のアパートを借り、3人でソンを守る国を建国し、日夜ストーカー行為に励む。そんな奇妙な生活も10年目になっていた・・・

 ストーカーという概念が認知されるようになったのはいつごろだったか。個人的に思いだせるのは、確かテニス選手のマリー・ピアースが元彼だったか父親だったかに付きまとわれていて、警察に相談した。裁判所は男の方に、半径20mだか50mだかに近づいてはならないと命じた、というような話をテニス中継の実況中に聞いた覚えがある。現代ではストーキングは、単に物理的に付きまとうだけではなく、ゴミ漁りや盗聴、無言電話および実際の電話、さらにはSNSでのストーキングなど、その行為のエスカレートする一方のようだ。

 尾崎、ブラピ、坂本の三人は、ソンを姫に、そして自らを兵士に譬える。これは上手い比喩だ。軍の格言に「良い兵士とは考えない兵士だ」というものがある。言い得て妙であろう。軍の作戦行動には大抵の場合、損耗が織り込まれている。その現実を頭から追い出せないような者は従軍などできはしない。この三人組も同工異曲である。自分たちの好意を客観視できれば、このような犯罪行為を続けられはしないし、ソンが同居の恋人(高杉真宙)から虐待されるのを盗聴していながら、それを助けず、通報もせず、不気味な祈祷に耽る姿には嫌悪感を抱くしかない。

 ことほど然様に狂った男たちを現実に呼び戻せるものは何か。本作のその回答として、カネと暴力を提示する。ソンの恋人が作った借金の取り立てにやって来る。友枝(向井理)とそのボスの星野(YOU)である。2人は彼らの国の入管を経ずに文字通り土足で入り込んでくる。それでも3人組は偏執な愛情を変えることなく、なぜか王子に借金返済の手伝いをさせて下さいとまで申し出る。ここまで来るとコメディだが、彼らの執拗な愛情に純粋さと美しさを見出した借金取りたちにも変化が表れ始める・・・

 この映画の結末は賛否両論を巻き起こす。それは間違いない。しかし、純愛派が賛成するわけではないだろうし、否定派が異常な愛情そのものを否定するわけではないだろう。そのことは友枝というキャラクターの「自分は半端でいいっすわ」という台詞とその後の言動に現れる。おそらく中途半端なスタンスを取る、この結末を受け入れることができる自分と受け入れられない自分がいるというモヤモヤ感を良しとできれば、それで良いのではなかろうか。

 エンドクレジットは絶対にその目に焼き付けてほしい。こういう効果を狙って松居大悟監督はこのようなキャスティングにしたのだろうか。自分がストーカー被害に遭うことも、自分自身がストーカーになることも、これはどちらも起こりうる。観客という立場からこの物語を眺めていた自分の頭を、監督にガツンと殴られたかのような衝撃を感じるクレジットであった。あのタイミングで、最後にYOUとか表示されたら、「え、俺もこの映画に登場してたの?」みたいになるでしょうよ、そりゃあ。惜しむらくは、“女子高生の頃から20年間同じ女性にストーカー行為をしていた男が逮捕された”というニュースが割と最近あったことで、映画のインパクトが薄まってしまった感は否めない。そういえば福山優治の『そして父になる』も、そんな感じだったな。現実は時に映画よりも奇なり。