Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『コクリコ坂から』  -戦争の傷跡残る時代の青春群像劇-

コクリコ坂から 65点

2018年7月18日 レンタルDVDにて観賞

声の出演:長澤まさみ 岡田准一 竹下景子 石田ゆり子 柊瑠美 風吹ジュン 内藤剛志 風間俊介 大森南朋 香川照之

監督:宮崎吾朗 

 

 ジブリっぽいイントロから、韓国ドラマにありがちな展開に進み、最後はきれいに着地をした。そんな印象の作品である。1963年という第二次大戦の終了後10年を経ていない時代に生きる高校生の海(長澤まさみ)、通称メル。フランスで海の意である。よく言われることであるが、日本語では「海」の中に「母」がおり、フランス語では「母」の中に「海」がある。イントロはまさに無言のままに海というキャラクターの属性を描き切る。それは母親の不在を見事にカバーする母としての海である。海たちが住むコクリコ荘は太平洋に臨み、妹の空と弟の陸、祖母の花、その他の居候たちと穏やかに暮らしていた。陸海空と聞けば、それだけで軍を想起するが、海の父親も海軍の軍人で、朝鮮戦争で戦死していた。海はそれでも父の眠る海に向けて、信号旗を毎日上げる。それに応える詩が、学校で発行される週刊カルチェラタンに掲載され、それを読んだ海は顔を赤らめる。私情ではなく詩情にほだされるところが時代の違いをあらためて浮き彫りにしている。

 そんな海はある日、学生食堂で友達と食事をしている時に、カルチェラタンという学校の部室棟を取り壊すという計画に抗議するため、校舎の屋根から貯水池に飛び込んだ男子に手を差し伸べた。風間俊(岡田准一)との邂逅である。田舎育ちの今の70歳代ぐらいの親戚に言わせれば、「手をつないだら、もう相手には妊娠するものぐらいに感じていた」と言う空気が当時はあったらしい。しかし舞台は横浜。神戸や長崎と同じく、いやそれ以上に先進的で開けた都市だ。メルもそこまでうぶではなかった。本当の意味でメルが俊にキュンとなるのは集会の場だったのだろう。カルチェラタンの取り壊しに賛成する生徒と反対する生徒の弁論による対決である。俊は高らかと述べる、「古いものを壊すのは、そこにある文化や歴史を壊すのと同じではないのか」と。何というマルキズム! 何という唯物史観的思考!おそらく今の(2010年代)の高校生でも同じように考える者はいるだろうし、それは原作発刊当時の1980年代でも同様だろう。ただ、そうした知識や思考を彼ら彼女らがどこでどのように得たのかを思うと、感動に近いような気持ちになる。Wikipediaがあるような時代ではないのだ。戦後10年も経ない時代、脱亜入欧政策は失敗だったと認めつつも、学ぶべきものは素直に学び、間違いであると思えるものに対しては疑義を差し挟むことを恐れない若者が本当にいたかどうかは別にして、学生運動とはそういうものだったはずだ。現に我々は、かなり頼りない存在および現象に映っていたが、SEALDsという物言う若者の集団に、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、大いに刺激を受けたではないか。そういうわけで、メルが弁論する俊にコロッといってしまっても不思議は無いわけだ。というか、相手を曲学阿世と罵ることができる高校生が今日日、どれくらいいるだろうか。まあ、こうした言葉がどのような人間を指すのかを、我々が原発擁護に血道を上げる東大教授達の姿を見て知るわけである。

 閑話休題。メルと俊の二人は順調に距離を縮めるが、ある戦争の傷跡が二人の間に壁を生じさせる。それでもカルチェラタンの大掃除や週刊誌のガリ版の原稿作りなどを通じて健気につながりを保つ二人にしかし、そのカルチェラタン取り壊しが正式に決定したという悲報が届く。生徒会長の水沼と二人は理事長に直談判しに、東京へ向かうが・・・

 ここまででクライマックスの手前になるのだが、かなりテンポよく物語が進む。近所のTSUTAYAで借りてきてから1回通して観て、その後英語字幕で2回観た。ペーシングが素晴らしい。無駄なカットや台詞が一切排除され、物語を引き締めている。その一方で、主題は若い2人のほろ苦すぎる青春である一方、戦争の残した爪痕がテーマとして重くのしかかるストーリーでもある。話の重要な舞台装置であるカルチェラタン同様に、かなり衒学的な要素もあり、正直なところ、中高年がノスタルジアに浸るには良い作品だが、現代の青少年に、上辺の物語の底に流れる重いテーマを消化してほしいと願うのは少々しんどいかもしれない。お盆の帰省で田舎に帰る大学生や、もしくはそうした都会から帰って来て携帯をいじるくらいしかすることがない大学生と一緒に、家族や親せきと観賞するのも一興かもしれない。『火垂るの墓』では重たすぎるから。

 本作は、観終った直後にもう一度、イントロのシーンに戻って欲しい。全く同じ構図のシーンが音楽の違いだけで観る者に全く異なる印象を与えてくれることに軽い驚きを覚えることだろう。その他、複数回の観賞に耐えるディテールへのこだわりも多い。観る人は選ばないが、楽しめる、もしくは何かを得られるという人をかなり選びそうな作品である。