Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 プラネタリウム 』 -アウトサイダーの悲哀を描いた凡作-

プラネタリウム 30点
2018年11月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ポートマン リリー=ローズ・デップ エマニュエル・サランジェ
監督:レベッカ・ズロトブスキ

 

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降霊術の歴史は長い。科学の発達と共に霊の領域はどんどんと狭められていっているが、日本でも30歳以上の年齢なら、こっくりさんについて聞いたことがあるはずだし、実際にやってみた人もいるだろう。霊とは、それが無くなった肉親の霊であろうと、見も知らぬ他人の霊であろうと、常に好奇の対象である。しかし、霊とは同時に現世から疎外された者でもある。そして、疎外は生者と死者を分けるだけではなく、生者と生者の間でも起きる事象である。

 

あらすじ

ローラ(ナタリー・ポートマン)とケイト(リリー=ローズ・デップ)のアメリカ人姉妹は、パリで死者を呼び寄せる降霊術を行い、日銭を得ていた。ある時、映画会社役員のコルベン(エマニュエル・サランジェ)は二人の降霊術に感銘を受け、自分でもそれを体験したいと言いだした。二人の呼ぶ霊との交流に感激したコルベンは、姉妹の力を使って映画を撮影しようと考える。時あたかも第二次大戦前夜。異邦人にとっては忍従の時代だった・・・

 

ポジティブ・サイド

ナタリー・ポートマンの美貌とリリー=ローズ・デップの爛熳さについてはくどくどとのべつ必要性は無い。Their blossoming beauty and innocence speak for themselves. である。それ以上にエマニュエル・サランジェの存在感が際立つ。目は口ほどにものを言うというのは往々にして事実(Maybe your smile can lie, but your eyes would give you away in a second.)であるが、それを演技で表現できる役者は存外に少ないのではないか。サランジェはそれができる俳優だ。パリジャン然とした伊達男ばかりがフランスの俳優ではないということを見せつける様は、清々しくもある。本作を観る人の半分以上はナタリー・ポートマンの熱心なファンであろうが、こうした未知のタレントとの出会いがあれば、それだけで20点増しである。

 

ネガティブ・サイド

あまりにもストーリーに起伏がない。いや、姉妹の協力と成功、そこからの失敗と破局的な結末と上がり下がりはするのだが、それがあまりにも典型的というか、妹を霊媒師に設定する意味は特になかった。というか、科学の力で霊の存在を証明するというプロットは、現代人たる我々の目から見て、意義あるものではない。なぜなら科学の発展は世界の神秘の数々を解き明かしていくほどに、科学で説明できないものはストレートにそのまま信じるべし、という信念の持ち主も増加しつつあるからだ。そこまで極端な考えをしないまでも、天文学者や物理学者には無神論はほとんどいないと言われている。1930年代を舞台にすることで、科学的に霊を証明しようとする試みが逆に陳腐化してしまった感は否めない。

 

また、ビジネスの世界を描く必要もあったのだろうか。リュミエール兄弟が産み育てたフランスを舞台にするのだから、あくまで映画という文化・芸術・科学という媒体で姉妹の力と秘密に迫っていくようなプロットで良かった。ただでさえ戦争勃発前の陰鬱な時代に金勘定やら役員の追放やらを見ても感動も興奮もしない。ただ溜息が出るだけである。

 

本作は establishing shot の段階で結末が見えているとも言える。タイトルがプラネタリウムなのだから、汽車が疾走する平原の頭上に広がる無窮の星空がプラネタリウムであることが何を暗示、いや明示するのかを観る者はあまりにもあっさりと悟ってしまう。映画の基本的な文法、技法に則ったものとは言えるが、それが面白さを増すことに資するのかというと甚だ疑問であった。

 

総評

なにやら軸の定まらない映画である。その場に属すことのできないアウトサイダーの悲哀を描き出したいのは分かるが、様々な要素を盛り込もうと欲張ったせいで、何もかもが中途半端になってしまった残念な作品である。