Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 ビリーブ 未来への大逆転 』 -法廷ものとしてのカタルシスが弱い-

ビリーブ 未来への大逆転 60点
2019年3月30日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:フェリシティ・ジョーンズ アーミー・ハマー
監督:ミミ・レダ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190401011302j:plain

同僚のアメリカ人2名(日本在住歴10年以上)に尋ねてみた。ルース・ギンズバーグは知っているか、と。答えは否であった。グロリア・スタイネムは知っているかとの問いの答えは、然りであった。ということはアメリカ史の、少なくとも一般的な知名度はそれほど高くない人物=hidden figureの物語ということで、『 ドリーム 』のような傑作かもしれないとの期待を胸に劇場へ赴いた。あらためて心するとしよう。 The worst thing you can do for a movie is to hype it up too much.

 

あらすじ

ルース・ギンズバーグフェリシティ・ジョーンズ)はハーバード法科大学院を首席で卒業するほどの能力を持ちながらも、女性であるというだけで法律事務所で職を得ることができずにいた。やむなく大学で法学の教鞭を取るも、弁護士への夢は諦めきれなかった。そんな時、夫マーティ(アーミー・ハマー)から、興味深い事例を詳細され・・・

 

ポジティブ・サイド

彼女の経歴を軽く調べてみた。と言っても、wikipediaの英語ページをザーッと流し読みしただけだが。そして驚いた。正に立志伝中の人物ではないか。アメリカでは州によって運転免許を取得できたり喫煙できたりする年齢が違うことがあるが、飲酒可能な年齢が男女によって異なるという法律を覆したりしているではないか。翻ってこの極東の島国では男女の別で結婚可能な年齢が異なっている。まあ、お国もようやくこの法改正に乗り出してはいるようだが、“On the basis of sex”によって決まっている無条件の男女差別はこの社会の至るところに存在している。例えば、Jovianの嫁さんの会社では、人事部長が入社式に「女性にはあまり長く働いていただこうとは思っていませんので・・・」などと言ってしまうのである。これが21世紀の話、平成の話なのである。本作は1950年代~1970年代にかけてのアメリカ社会を描いているが、この時代のアメリカの世相や社会背景が日本(のみならず多くの国)に当てはまることに驚かされる。

 

作監督のミミ・レダーは映画『 ディープ・インパクト 』やテレビドラマ『 ER緊急救命室 』で、プロフェッショナリズムとヒューマニズムの両方にバランスよくフォーカスするその手腕は既に証明されている。本作の描くプロフェッショナリズムは、弁護士というトラブルシューターの仕事の難しさであり、法律という国家が国民に望む姿を明文化したものへの向き合い方であり、ヒトが人として生きることの難しさ及び尊さである。同時にヒューマニズムとは、他者を自分と同じように生きている存在として認めることである。だが、それは決して他者と自分を同一視することではない。それは時におせっかいであり、迷惑ですらありうる。劇中のルースは、依頼人や娘を自分と同一視してしまい、客観性を欠く言動を呈してしまうことがあるのだが、周囲からの厳しくも温かい支援や気付きの促しにより、彼女自身が変化し成長していく様を我々は見ることになる。それはある意味では、本筋である法廷ドラマよりも面白い。時代だ社会だとあれこれ考察するよりも、一個の人間の成長を自分に重ね合わせてみる方が、より健全な映画の楽しみ方であろう。

 

フェリシティ・ジョーンズおよびアーミー・ハマーの演技は素晴らしい。特にアーミー・ハマーの父親っぷりは見事である。娘に対して母の愛を語りかける姿は、まさに人生におけるpositive male figureである。こうした父親像は、洋の東西を問わず見習わねばならない。フェリシティも良い。『 博士と彼女のセオリー 』で、勤勉な学生、献身的な妻、懸命な母、そして背徳的な女性という重厚な演技を見せたが、様々な顔を持つ一個人を本作でも見事に演じ切った。

 

ネガティブ・サイド

RGBの周囲以外の男の、このあまりにもステレオティピカルな描かれ方はどうだ。Jovianは同じ男として、男は基本的に賢いアホで、自尊心が高く、それでいて心の奥底には妻や母に対する恐れの感情があることを知っている。それはおそらく人類の歴史において、普遍的な男の心理の真理である。しかし、そうした男の一面がほとんど描かれることが無かったのは何故なのか。それがミミ・レダーの問題意識であるというのか。本作は女性差別を乗り越えるストーリーではなく、性差別を乗り越えるストーリーではないのか。出てくる男が悉くと言っていいほど、醜悪で単細胞で矮小なのは何故なのか。このあたりのバランス感覚が欲しかった。

 

ルースの弁護士としての成長をもう少し丁寧に描いても良かったのではないか。模擬法廷で堪忍袋の緒が切れてしまうようでは先が思いやられるが、そこで絶妙な助け舟を出すのが夫のマーティである。彼とのチームワークというか、ケミストリーをもっと追求して欲しかった。

 

クライマックスもやや弱い。大逆転というよりも大転換という感じである。アメリカ独立戦争時、トーマス・ジェファソンは“All men are created equal”という一文をものした。この考え方自体が女性を排除しているものと見られても仕方がないが、ルースはそこを指摘するのではなく、極めてアメリカ的な思考の陥穽を突く。これが分かりにくい。アメリカ人にはよく分かるのだろう。アメリカの選挙では候補者がしばしば“I love freedom! Let’s make more freedom! We should make more freedom!”という、意味がありそうでなさそうな言辞を弄すると聞く。ドラマのニュースルームのシーズン1冒頭がここでも思い出される。“Can you say why America is the greatest country in the world?”という問いへの一つの答えが“Freedom and freedom”なのである。ルースはこの点を刺すが、これはアメリカ人以外にはなかなかピンと来ないだろう。Jovian自身も最初はキョトンとなってしまった。邦題で大逆転を謳いながらも、大逆転であると感じにくい。それが本作の最大の弱点になってしまっている。そこが誠に惜しいと感じられるのである。

 

総評

法廷ものとしては『 判決、ふたつの希望 』には負ける。佳作であるが、女性をエンパワーする映画としては『 エリン・ブロコビッチ 』や『 ドリーム 』、『 未来を花束にして 』、『 女神の見えざる手 』の方が一枚上手である。しかし、フェリシティ・ジョーンズの多面的かつ重層的な演技は劇場鑑賞に値すると言える。