Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 風の谷のナウシカ 』 -日本アニメ映画の最高峰の一つ-

風の谷のナウシカ 90点
2020年7月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:島本須美 榊原良子
監督:宮崎駿

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たしか初めて観たのは小学2年生の時、学校の体育館でだった。その後もテレビのロードショーで何度か観たし、大学の寮で留学生たちと一緒にも観た。おそらくそれが最後の鑑賞だった。今回はおよそ20年ぶりの鑑賞となる。ごく最近、駄作を観てしまったがために、どうしても口直しが必要だった。劇場の大画面で鑑賞して、あらためて本作は傑作だと再確認できた。

 

あらすじ

世界を焼き尽くした「火の七日間」から1000年。人類は、腐海と虫に脅かされながら生きていた。風の谷の姫ナウシカは、メーヴェを駆って、腐海を巡り、世界の真実を探求していた。だが、列国は貧困と恐怖の中でも戦争を行っていた。そしてナウシカと風の谷も、否応なくその戦いに巻き込まれていく・・・

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ポジティブ・サイド

30年以上前の作品であるにも関わらず、そのテーマの現代性に驚かされる。一つには、行き過ぎた技術文明への警鐘があり、もう一つには大自然が人類を脅かすことである。小説家の新城カズマに言わせれば「SF作品とは、人類と文明の遠近法」だが、その意味では1980年代のSFは、『 ターミネーター 』や『 ロボコップ 』といったロボットものか、そうでなければスペース・オペラまたはスペース・ファンタジーだった。中には『 ブレードランナー 』のような異色作もあったが、そこにあるのは人間が「機械」を見る眼差しだった。本作はそこに「生命」を見出している。腐海という、一見すれば究極のディストピアを、単なる恐怖や脅威の領域ではなく、ある大きな仕組みの一部として見ている。そこが非常に独特で、宮崎駿の異能あるいは異端さが際立っている。

 

本作は様々な戦争作品を取り入れつつも、それ自体が全く新しいジャンルを切り拓いたという点でも、日本映画史に残る作品である。巨神兵という、一見すれば『 ゴジラ 』にインスパイアされたように見えるモンスターが、その後の『 新世紀エヴァンゲリオン 』をインスパイアした点も興味深い。1980年代のゴジラと言えば、『 ゴジラ1984) 』が本作と関連が深い。内容が、ではなく背景がである。オープニングでユパが探索している村に降る胞子は、どうしても核戦争後の「死の灰」を我々に想起させる。『 ゴジラ1984) 』ではゴジラ原発を破壊し、そして日本の上空で核爆発が起きる。腐海の瘴気=放射能と見るのはいとも容易い。そして、COVID-19の第二波または第一波の揺り返しに遭っている現代日本では、もはや必携アイテムになってしまったマスクが本作では重要なガジェットになっている。世界観に普遍性があるのだ。「姫様、マスクをしてくだされ、死んじまうー!」という爺さんたちの叫びは、ブラックジョークにも悲痛な叫びにも聞こえる。時代を超えたユーモアがあり、恐怖感もあるのだ。時代と時代、ジャンルとジャンルの結節点である本作らしいと言えはしないか。

 

本作を傑作たらしめている最大の要因は、やはり主人公のナウシカのカリスマ性だろう。20年ぶりに観て、その戦闘力や指導力、カリスマ性、英知、博愛の精神に打ちのめされた。「お姫様」という存在は、基本的に王または王子なしには無力な存在である。宮崎駿はそこをひっくり返した。病に倒れた王ではなく、その娘のナウシカこそが風の谷の事実上の王である。そして指導者たる王が肉体労働を厭わず、自己犠牲に躊躇しない。国民が姫、あるいは王族の姿を見て結束、連帯する、あるいは分断、抗争していくのは世の常。それは上皇后美智子様への国民的な感情と、親王妃紀子様、あるいはJovianの後輩にあたる眞子内親王佳子内親王への国民的な感情を比較してみれば分かる。2010年代のハリウッドが「機は熟した」とばかりに、優秀な“女性”にフォーカスした作品を陸続と送り出してきたが、それはほとんど『 ドリーム 』のような歴史に埋もれていた女性たちの物語だった。ナウシカのように、誰かに構想されたキャラクターはいなかった。ここでもクリエイターとしての宮崎駿の天才性が見える。もちろん、他キャラも素晴らしい。苛烈なクシャナとどこか憎めないクロトワの名コンビに、風の谷の爺さん連中、そしてよく働く子どもたちも強く印象に残る。

 

今の若い世代、10代の中学生や高校生は本作のアニメーションを見て、どのような感想を抱くのだろうか。「場面によってはあまり動かない絵があるな」とか、「画質が粗いな」と感じるのだろうか。一応説明しておくと、これは全て手描きのアニメーションなのだ。美しいかどうか、精巧かどうかという点で現代のアニメ映画、たとえば『 ウォーリー 』などとは比較にならない。だが、作画に注ぎ込まれたエネルギーの総量は決して負けていないのである。昨年(2019年)に放火被害に遭った京アニジブリ作品にも深く関わってきたのである。

 

音楽も素晴らしい。宮崎駿作品と中期までの北野武作品には久石譲の音楽が欠かせないが、宮崎と久石のコラボとは、セルジオ・レオーネエンニオ・モリコーネが組む、あるいはジョージ・ルーカスジョン・ウィリアムズが組むようなものである。特にナウシカの飛ぶシーンのBGMが最高に情景にマッチしている。また効果音を聞き逃せない。『 スター・ウォーズ 』のミレニアム・ファルコン号やTIEファイターの飛行音、またライトセイバーのヴゥンという効果音は、そのオブジェそのものと不可分になっているが、本作ではメーヴェがそれにあたる。「飛ぶ」という行為を、視覚的にだけではなく聴覚的にも表現した宮崎の大いなる勝利である。

 

物語の内容と展開にも文句のつけようがない。劇作の基本として、物語には、キャラクターによって動かされるものと状況によって動かされるものに大別される。本作はその両方がパーフェクトなバランスで使われている。ナウシカは常に点から点へとせわしなく動くが、それは彼女自身の意思と、状況に応じた柔軟な判断である。同時に、彼女の意思とは無関係な他国の侵略や他国間の戦争によってでもある。ナウシカという万能に近い主人公が、状況をコントールしながらも状況に翻弄される。そのバランスが絶妙としか言いようがない。ストーリーの内容だけではなく、ストーリーの構成や展開も完璧である。

 

ネガティブ・サイド

ユパが「良い名を贈らせてもらう」と言った赤ちゃんの名前は結局どうなったのか。

 

巨神兵を積載したトルメキアの大型艦は、過積載で風の谷に墜落したが、それではそもそもどうやって離陸したのだろうか。他の航空機にえい航されながら滑走および離陸をしたとでも言うのか。また、蟲に襲われていたが、その蟲たちもどこで拾ってきたのだろうか。ウシアブは空を飛べるから分かるが、小型王蟲のような飛べなさそう蟲が船体に張り付いていたのは不可解だった。

 

声優陣はさすがの仕事ぶりだったが、唯一アスベルの声だけは、素人っぽく聞こえた。

 

総評

問答無用の大傑作である。小中高校生は、夏休みの宿題として本作を観るようにと各学校がお達しを出してもよいくらいである。三密を満たさないように、それこそ体育館で各学校で一日中、上映してもよい。宮崎駿がこれだけヒット作を連発できるということは商業性や大衆性というものをよく理解している証拠だが、一方で異能性や天才性も併せ持っている。ぶっちゃけた言い方をすれば、黒澤明小津安二郎に並ぶクリエイターであると言っても良い。岩井俊二是枝裕和は、まだ宮崎駿には及ばないというのがJovianの勝手な私見である。その宮崎の作品の中でも本作は一、二を争うクオリティである。親や祖父母は子や孫を是非とも映画館に連れて行ってあげてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

Please put on the mask!

put on ~ = ~を身に着ける、の意である。対して(文脈にもよるが)、Wear a mask. は「普段からマスクを着用せよ」の意になる。日本の英語学習者はしばしばPlease relax. =どうぞおくつろぎください、のように言ってしまうが、Pleaseを頭につける命令文というのは、(これも文脈や口調によるが)かなり切羽詰まって聞こえる。「頼むからリラックスしてくれ」のような感じである。その意味で「姫様、マスクをしてくだされ」の英訳にはPleaseをつけるのがふさわしい。

 

 

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