Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 GODZILLA 星を喰う者』 -本当は副題で「星を継ぐもの」と言いたかったのでは?-

GODZILLA 星を喰う者 50点
2018年11月10日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:宮野真守 櫻井孝宏
監督:静野孔文 瀬下寛之

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ゴジラ映画におけるアニメーションと言えば、『 ゴジラ対ヘドラ 』の劇中において挿入された謎の銀河解説アニメが強烈な印象として残っている。そして、このアニメ・ゴジラ三部作も遂に完結。どれほどのインパクトを世のゴジラファンに与え、植え付けるのか。どのように着地するのか。『 GODZILLA 決戦機動増殖都市 』でも触れたが、怪獣の怪獣性をどのように描き切るのか。本作に期待される点は多い。しかし、その期待は応えられたと言えるのだろうか・・・

 

あらすじ

決戦機動増殖都市メカゴジラ・シティとヴァルチャーによる攻撃でゴジラ・アース打倒まであと一歩に迫るハルオらであったが、ビルサルドとの対立により、ゴジラ抹殺の千載一遇の機を逃してしまう。もはやゴジラを倒す手段は無いのか・・・ 一方、エクシフの宗教家メトフィエスは信者を着実に増やし、遂にはギドラを降臨させる・・・

 

ポジティブ・サイド

怪獣とは何であるのか。怪獣の怪獣性とは何なのか。そのことに一定の答えが提示された。怪獣は、人間によってどうこうできる存在ではないということ。怪獣は闘うべき相手ではないということ。怪獣とは死と滅びと終焉の究極のメタファーであるということ。怪獣に対する勝利とは、対象の抹殺ではなく、自らの生存と繁殖、繁栄であるということ。行き過ぎた文明の発達に対する歯止めとしての怪獣ではなく、人間を含めた文明ですら、怪獣を産み出す下地に過ぎないということ。結局は「怪獣惑星」に回帰するということ。どこか『 シン・ゴジラ 』にも通底するテーマである。これこそが製作者の呈示する世界観の論理的帰結であるというなら受け入れようではないか。

 

今作の最大の注目点ギドラである。ギドラと言えばゴジラ映画シリーズに7回の登場を誇る、もはやお馴染みの怪獣である。そして、ゴジラ映画の文法から外れることが多いアニメゴジラ世界のギドラが、恒例の三大特徴をしっかりと踏まえていることもポイントが高い。ギドラの三大特徴とは

 

1.宇宙からやってくる

2.操られている

3.実は弱い

 

である。ゴジラ・アースという規格外のゴジラのが存在する宇宙に、規格外ながらもゴジラ世界の文法に則ったギドラが登場してくれたことは、大いなる安息であった。

 

ゴジラがグローバルなコンテンツになってしまった今、日本版のゴジラが立ち返るべきは本多猪四郎の発したメッセージ、すなわち行き過ぎた文明はそれ自身によるしっぺ返しを食らう、という教えである。実際に『 シン・ゴジラ 』は震ゴジラであった。本作においても、ハルオが選択した生命主義的行動は、芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーを発明してしまったことに対して責任を自ら取った行動と重なる。『 宇宙戦艦ヤマト 完結編 』における古代進を彷彿とさせるその決断と行動には胸を打たれた。

 

ネガティブ・サイド

元々いかがわしさと胡散臭さを撒き散らしていたエクシフであるが、ゲマトリア演算については最後の最後までJovianの理解を超えていたようだ。計算の結果、この宇宙は有限であり、いつか必ず終焉を迎える。であるならば美しい終焉を求めてギドラを召喚するところが特に意味が分からない。とにかくゲマトリア演算というと、小林泰三の『目を擦る女』所収の短編「あらかじめ決定されている明日」のような、とてつもなく胡散臭さを感じる。この宇宙が有限でも、別の宇宙が存在するならば、何とかしてそちらに移住する方法を編み出そうとは考えないのか?

 

ギドラ登場シーンにも不満が残る。アラトラム号を混乱の極みに陥れ、破壊した描写は圧倒的であったが、観る側に何もかもを説明するかのようなキャラクターの不自然な(=やたらと説明的な)台詞が耳障りだった。ギドラという別宇宙の怪獣によって異なる物理法則が支配する領域に叩き込まれたアラトラム号を描写するならば、それこそ観る側をも混乱させるような演出が必要だった。例えば、音声や効果音と絵が一致しない、時間の経過を非連続的にする、などが考えられる。観る者までも混乱に叩き込み、地上でゴジラに噛みつき絡みついたところで、マーティン・ラッザリにあれこれと実況および解説させればよかった。ギドラの圧倒的なビジュアルと存在感はしかし、残念ながらアクションにはつながらなかった。非常に静的な画面が続くので、なおさら上述したような混乱の演出が欲しかった。

 

ギドラの存在の位相についても不満がある。もともとゴジラの攻撃が当たらないのであれば、熱戦を捻じ曲げる必要もないわけで、素通りさせればよかった。その上で、ゴジラの攻撃が当たるようになってしまった時、熱戦に対して最初の数発はディフレクトできたものの、最終的にその圧倒的な火力とエネルギーに屈してしまったという描写にできなかったのだろうか。まるで『 ダイの大冒険 』の死神キルバーンと『 HELLSING 』にてアーカードを消滅させたシュレディンガー准尉を想起させるアイデアは良いのだが、その見せ方が映画的ではなく娯楽的ですらなかった。本作の成功の大部分はギドラに負っているのだから、ギドラに関する演出のマイナス面は、そのまま作品全体の評価へのマイナス点に直結する。

 

総評

前作、前々作を観た者からすれば、これを観ないということはありえない。しかし、それは本作が素晴らしいということを主張するものではない。むしろ、このアニメゴジラの一応の着地点を確認するしかないという、やや消極的な理由である。全体的には残念な作品に仕上がってしまっているが、しっかりとしたメッセージを受け手に送ってくれる作品にはなっている。

 

追記

すでにYouTubeで観た方も多いと思われるが、USAゴジラの正統続編『ゴジラ:キング・オブ・ザ・モンスターズ』のトレーラーを大画面で見られたのは、やはり胸躍るものだった。ドビュッシーの『 月の光 』を思い起こさせるBGMと共に、ゴジラの姿、モスララドンキングギドラのシルエットを観て、ふと思った。こいつらが登場した後にキングコングの出る幕は果たしてあるのか、と。やはり『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』の生物巨大化メカニズムをコングに無理やりにでも適用するのだろうか。