Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 ビールストリートの恋人たち 』 -人間賛歌の要素が不足-

ビールストリートの恋人たち 60点
2019年3月10日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キキ・レイン ステファン・ジェームス 
監督:バリー・ジェンキンス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190318122725j:plain

原題は“If Beale Street could talk”。『 私はあなたのニグロではない 』のJ・ボールドウィンの小説『 ビールストリートに口あらば 』の映画化である。1970年代の小説を2010年代に映画化する意味は何か。そこにアメリカ史を貫く恐るべき差別の構造と、それを乗り越えんとする確かな意志が存在することを示すためである。

 

あらすじ

ファニー(ステファン・ジェームス)とティッシュキキ・レイン)は、乗り越えるべき問題を抱えながらも幸せな恋人同士だった。しかし、ある時、ファニーが身に覚えのない罪で投獄されることに。彼の無実を証明すべく、ティッシュは奔走するが・・・

 

ポジティブ・サイド

恋愛とは本来とても美しいものである。だからこそ、詩になり歌になり物語になり映画になる。そして愛が最も美しく光り輝くのは、往々にして逆境においてである。それは『 ロミオとジュリエット 』において顕著なように、シェイクスピアの時代からの真理である。そして本作において描かれるファニーとティッシュ恋愛模様は、シネマティックな要素を極力排除し、それでいてドラマティックなものとして描かれる。物語序盤に描き出される、正式に恋人同士となる前の二人のちょっとした会話、食事、歩き方や目配せは、恋人未満特有の、それでいて恋人になることが約束されたかのような、非常に陳腐で、それでいてロマンティックな瞬間を生み出している。ファニーがティッシュを部屋に誘うシーンは、『 ロッキー 』で、ロッキーがエイドリアンを自室に誘うシーンとは異なる意味で、印象に残るシークエンスだった。ラブシーンも美しい。10~20代の若者の恋は得てして動物のように盛ってしまうものだが、本作はそんなアプローチは取らない。宝箱を大切に開けるかのようなファニーに、ティッシュも身を委ねる。女性というのは誘われたがっているものだ。しかし、そのタイミングと方法を間違ってはならない。そうした教訓まで教えてくれるのが本作である。

 

本作のもう一つの見どころは、ファニーとティッシュ、それぞれの家族同士の付き合いであろう。アメリカ社会におけるどうしようもない差別の構造と意識は、これまでに無数の映画が映し出してきた。しかし、本作の黒人家族同士の微妙な距離感での付き合い、そして衝突には息を飲むシーンがある。黒人は歴史的に白人に差別されてきた存在というだけではなく、黒人同士の間でも属性の押し付け合い、すなわち差別の構造が生まれてくることを描いているからだ。ティッシュの母親が自分の孫に投げかける呪詛の言葉に我々は衝撃を受ける。それが人間性を完全否定する言葉だからである。『 グリーンブック 』でも顕著だったが、同じ人種というだけでは人は分かりあえない。しかし、人と人とが分かり合い、触れあうためには、人の人たる面に接しなくてはならない。誰かの力になりたいと心から思うこと、可能であれば自分が相手になり変って苦しみを受け止めたいと願うこと。そうした心の在り方を本作は若い二人の恋人たちの姿を通して追求する。理不尽な差別の構造に心を痛め、無私の愛の形に涙する。それは陳腐ではあるが、それゆえに普遍性を感じさせる。

 

ネガティブ・サイド

若気の無分別と言ってしまえばそれまでなのだが、ファニーが自身の荒々しさをもう少しコントロールできる男であれば、そもそも冤罪騒ぎは起きなかったのではないか。もちろん、自分の女に無礼な態度ですり寄ってくる男がいれば、番の雄としては全力でそれを排除するものだ。しかし、お互い人間なのだから、まずは言葉を尽くせなかったのだろうか。

 

全体的なトーンも非常に暗く、またペースもかなり遅い。見どころとしての家族同士のパーティーとそこでの諍いは文句なしの緊張感をもたらしてくれる。だが、その他のパートはどうにも盛り上がりに欠ける。それは何よりも、ある意味でマルコムXな思想がその向こうに透けて見えるからだと感じられてならない。1960代から言われ始めた“Black is beautiful.”という思想は、“The other colors aren’t.”に容易に変化してしまう恐れを孕んでいる。もちろん、エド・スクライン演じる警察官は悪徳の権化そのものと思って間違いない。しかし、その男とバランスを取るべき不動産屋のインパクトが弱い。黒人賛歌は結構であるが、その一方に白人参賛歌なり女性賛歌なりアジア系やヒスパニックへの賛歌がないことには、結局のところ人間賛歌になりえない。この部分が『 グリーンブック 』がカバーできていたところで、『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』や本作がフォーカスしきれなかった部分である。『 クレイジー・リッチ! 』や『 search サーチ 』などが大ヒットしたように、アメリカという人種のるつぼ、多民族国家におけるアジア系やインド系のデモグラフィックは無視できない規模になっている。そうした現実世界とのバランスと映画世界のバランスに不均衡があることが本作の最大の弱点であるように思えてならない。

 

総評

本作は映画ファンよりも小説ファンや文学ファンを引き付けるのかもしれない。恋愛模様の美しさ、愛憎劇の激しさは派手さで表すよりも観る者の感覚や想像力に委ねさせる方が良い場合もある。人間を描くという点では弱いが、恋人たちを描くという点では標準以上の美しさを備えた作品と評することができる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190318122806j:plain