Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 ふたりの女王 メアリーとエリザベス 』 -歴史とは現代への遠近法-

ふたりの女王 メアリーとエリザベス 75点 
2019年3月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン マーゴット・ロビー
監督:ジョージー・ルーク

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原題は” Mary Queen of Scots ”である。文字通り訳せば、スコットランド女王メアリーとなる。ただし、この邦題は悪くない。こちらの方が客を呼びやすいし、海外のポスターやパンフレットなどの販促物も、ふたりの女王にフォーカスをしているからだ。ジョージー・ルーク監督は単なる歴史映画ではなく、しっかりと現代をその視座に収めた物語を作ってきた。

 

あらすじ 

時は1580年代。舞台はグレートブリテン島。フランス帰りのメアリー(シアーシャ・ローナン)はスコットランド女王の座に就く。しかし、当時のスコットランドは、旧教カトリックと新教プロテスタントが混在。加えてメアリー自身の出自や再婚問題から、貴族や民衆に至るまで、敵味方が入り乱れ、争乱や陰謀が絶えなかった。その頃、南方のイングランドでは女王エリザベス(マーゴット・ロビー)が君臨。彼女らは対立と協力のうちに、互いへの信頼と尊敬を徐々に見出し・・・

 

ポジティブ・サイド

本作はジョージー・ルーク監督からの熱烈な恋文にして辛辣な批評である。誰に宛ててなのか?それは現代社会であろう。恋文と批評は併存しないのではないかと思われるかもしれないが、両者ともに対象への没入から生まれる文章だと思えば、本質的な差異はそこにはない。それではルーク監督が没入した対象とは何か。それは個と社会の関係の在り様であろう。

 

宗教改革後にして、ウェストファリア条約以前。つまり、信仰に対する個の意識の自由が叫ばれ、しかし、個の諸権利が著しく制限をされていた時代。個に対する教会と国家の関係が著しく揺れ動いていた時代。そうした時代に生きたメアリーという女王を活写する意味は何か。それは女性と男性の力関係を追究することであり、国家間の存立問題を考究することであり、様々な外的要因に影響されながらも個を保ち続ける崇高さを見つめ直すことだろう。

 

シアーシャ・ローナン演じるメアリーは、年齢相応に侍女らとガールズトークに勤しむ一方で、政治的に兄と対立する。未亡人として孤閨に耐えられないという気持ちを抱きながらも、再婚の相手は政治的な利得で決定する。そこには女性と女王という二つの属性がある。シアーシャ・ローナンは卓越した演技力と存在感で、メアリーの様々な顔を演じ分け、巧みに表現した。特に印象に残ったのは、内乱鎮圧の際、騎乗しながら手振りで指令を下すシーンだった。そこではメアリーが多分に私情の混じった判断を行っているのだが、その時のポーカーフェイスが良いのである。

 

対するエリザベスを演じるマーゴット・ロビーも負けていない。現英国女王はエリザベス2世で、初代エリザベスが本作で描き出されるエリザベス女王その人なのである。故マーガレット・サッチャーを彷彿させる鉄の女、いや鉄の処女で、女性らしさとは自ら決別し、政治と政事に携わる男たちの間で翻弄されながら、北方スコットランドの若き女王への妬みと嫉みの気持ちも捨てられない。そんな矛盾する個の在り様を、『 スーサイド・スクワッド 』のハーレイ・クイン、『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』のトーニャ・ハーディング以上の静かな熱演でもって披露してくれた。天然痘で瘡が残った顔を白塗りし、ウィッグをかぶり、それでもメアリーとなかなか向き合えない威厳のある女王にして、若さと美しさと強かさの全てに嫉妬し、同時に憧れてしまう一人の女性の悲哀を切々と、しかし、力強く演じ切った。

 

エリザベス女王の在位が世界最長となる慶事の一方で、スコットランド独立運動が2014年という比較的最近にも盛り上がった。現英国王室は全てメアリーの直系子孫であるということを考えれば、ルーク監督は連合王国に対して多様性と統一性の両方が必要にして尊重されるべきだと考えているのだろう。同時に、近代という個の成立を追求する時代に、再び勃興の兆しを見せつつある全体主義や不健全なナショナリズムに対する警鐘を鳴らしてもいるのだろう。

 

ネガティブ・サイド

オープニング早々に字幕で背景を説明するのは、手抜きとまでは言わないが、もう少し見せる工夫が必要だろう。たとえばグレートブリテン島ではなくヨーロッパ大陸の当時の風俗習慣をほんの少し映像化するだけでも、当時のイングランドスコットランドという世界に、もっと入っていきやすくなっただろう。

 

また、男の端くれとして、本作に描かれる男どものほとんどが、悪漢か卑劣漢か痴愚か、さもなければ小心者ということに、落胆させられる。『 真っ赤な星 』以上に、アホな男しか登場しない。唯一、メアリーが心許した男も、カエサルも斯くやという死に様を見せる。もう少し男に辛くない描写があっても良かったのではないだろうか。

 

総評

単なる地球の反対側の国の歴史映画と思うことなかれ。本作が描出するテーマは恐ろしいほど現在の極東の島国の状況と似通っている。多極化する世界と国粋主義化していく国と国民、そうした時代において力強く個が個であり続けるためのインスピレーションを与えてくれる大作である。

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