Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 今日も嫌がらせ弁当 』 -Mothering, The World’s Toughest Job-

今日も嫌がらせ弁当 70点
2019年7月7日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:篠原涼子 芳根京子
監督:塚本連平

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数年前に“World’s Toughest Job”という動画がバズった。記憶に新しい人も多いかと思う。洋の東西を問わず、母親業というものは過酷を極めているようである。そのような現実において、本作のような作品が世に出ることには大変な意義がある。一つには、本作は実話をベースにしているということ。もう一つには、本作の物語が完全に市井の人のそれであるということ。「ディテールを観察していけば、この世に普通の人間はいない」とイッセー尾形は見抜いた。普通の人の、ちょっと普通ではない物語。そうしたものが今、求められているように思う。

 

あらすじ

八丈島に住む持丸かおり(篠原涼子)はシングルマザー。次女の双葉(芳根京子)はもうすぐ高校生にして反抗期。態度は横柄、口を開くことは無く、伝えたいことは全てLINEで伝えてくる。そんな娘にどうやってお灸をすえてやろうかと考えるかおりに天啓が下りる、「双葉のお弁当を全てキャラ弁にしてしまえ」と。かくして母娘の闘争の幕が上がる・・・

 

ポジティブ・サイド

篠原涼子と吉田羊は女優としての立ち位置が被っているように思っていたが、本作あたりからはっきりと差別化されてきたようだ。すなわち篠原は母親らしい母親で、吉田は母親らしくない母親を演じることが多い、と。人間性ではなくオファーされる役柄のことである。では母親らしさとは何か。それを一言で説明したり、定義づけたりするのは難しい。子どもを産むことではない。それは母親らしさではない。思うに、母親らしさとは、子どもの巣立ちを促すことなのかもしれない。かおりがキャラ弁を作るのは、嫌がらせが目的なのではない。娘を反抗期から次の段階に進ませようとする親心だ。そのことは、双葉が初めて母に寄り添おうと、幼い頃に交わした約束を持ち出してきたところ、優しく、しかし力強く拒絶する様には震えた。篠原自身がインタビューで「 女同士は友達みたいな感じになるんだなと思いましたね。男の子を持つ母親は、親という感じがすごくするけども、女同士だと、一緒に買い物したり、ランチしたり、映画を見に行ったり……女友達と行動しているのと変わらないところがありますよね 」と語っているが、これなどは『 レディ・バード 』のシアーシャ・ローナンとローリー・メットカーフの母娘関係にぴたりと当てはまる。母親らしさというのは、娘を対等に扱えること、娘と正面から向き合えることなのかもしれない。そう考えれば、父と息子が向き合うには大袈裟な仕掛けが必要であるとする万城目学の『 プリンセス トヨトミ 』とは好対照である。昼の仕事、夜の仕事、自宅での内職に家事、そして弁当作り。男親にこれらができないとは思わないが、これらを行った上でなおかつ、娘の昼食時間を不敵な笑みで待ち構えることはできない。しみじみそう思う。生物学的に女の方が生命力が強いのだろう。心底敵わないなと思われた。

 

本作は映像美にもこだわりが見られる。ハリウッドで色使いにこだわる代表的な監督はM・ナイト・シャマランだろうか。インド映画の大作は、どれも暴力的なまでに色彩を駆使する。日本では、先日『 Diner ダイナー 』を送り出してきた蜷川実花監督が色彩美へ一方ならぬこだわりを見せている。しかし、『 Diner ダイナー 』の人工的な色ではなく、本作は八丈島の非常にオーガニックな環境の色を直接的に、また間接的に見せてくれる。かおりの私服は一際派手であでやかという感じだが、それが山を背景にしたり、あるいは潮風が吹いているシーンにはめ込むと、不思議なコントラストが生まれる。そうした風や陽光などの豊かな自然の描写を下敷きに、食材を、キャラ弁というある意味で最も人工的な料理に加工していく過程に、人間の人間らしさ、母親の動物的な母親らしさと人間的な母親らしさの両方が垣間見られる思いがする。最近の邦画では、自然と人工の色使いの巧みさ、そのコントラストの際立たせ方では群を抜いているという印象である。

 

ネガティブ・サイド

佐藤隆太のパートは不要である。この父子のサブプロットは劇場鑑賞中にもノイズであると感じたし、今この記事を書きながら思い起こしても、やはりノイズであるとの印象は変わらない。父と息子のドラマを描きたいのなら、単品でいくらでも作れるはずだ。無理にこのような展開をねじ込む必要性も必然性もない。

 

フェイクのエンディング演出も不要である。もちろん、物語をコメディックに語るための演出としては機能していたが、この物語の主眼は、母親による娘の巣立ちの支援であることは明白である。その区切り区切りの場面でこのような演出を挟むのは、コメディ要素を増強することはあっても、ヒューマンドラマの要素を深めることにはならない。バランス的に難しいところだが、個人的には好ましい演出とは映らなかった。

 

トレイラーにもあったが、かおりが倒れるという展開にも不満が残る。もちろん、ドラマチックな演出は必要なことではあるが、脳梗塞である必要はあるのか。ちょっとした過労では駄目だったのだろうか。または胆石だとか急性膵炎だとか。過労が主な原因で罹患する疾患では駄目だったのだろうか。脳梗塞だとリアルすぎて、必要以上にシリアスさが増してしまっていたように思う。

 

キャラ弁当が途中からキャラ弁当でなくなったしまったのも少し残念。メッセージを伝える手段としては受け入れられるが、勉強ネタは過剰であるように思った。特に漢字の穴埋め問題は難しすぎるし、あれだけの難易度なら、もう5秒は考えさせてほしかった。

 

総評

全世代が安心して観られる良作である。題材に普遍性があり、演じる役者に演技力があり、監督が映像にこだわりを持っているからである。元ネタがブログであるというのも良い。パソコン通信からインターネットへの移行期に、この世にはたくさんの濃い方々がおられるのだなと大学生の頃にしみじみ感じたことを思い出す。ネット発で映像化されたメジャーなコンテンツの嚆矢は『 電車男 』であると思われるが、今後そのような作品がますます増えてくるのだろう。テクノロジーの進歩、ネット世界の成熟によって、玉石混交のコンテンツから玉を見出すことが容易になっているからだ。呉エイジ氏の「我が妻との闘争」などは、映画化したら絶対に面白いと思うのだが。

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