Jovian-Cinephile1002’s blog

古今東西の映画のレビューを、備忘録も兼ねて、徒然なるままに行っていきます

『 リチャード・ジュエル 』 -権力は暴走する-

リチャード・ジュエル 70点
2020年1月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ポール・ウォルター・ハウザー サム・ロックウェル
監督:クリント・イーストウッド

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ザ・レポート 』や『 スノーデン 』で描かれていたように、巨大な力を持つ組織というのは、暴走する危険を常に孕んでいる。クリント・イーストウッドはその点でFBIに目を付けた。日本でも、安倍首相にヤジを飛ばしただけで警察官に引っ張っていかれる時代である。本作を見て学べることは多いかもしれない。

 

あらすじ

リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は法執行官に憧れる警備員。記念公園の警備中に発見した不審なリュックには爆弾が仕掛けられていた。人々を必死に避難させる中、爆発が起こる。リチャードは英雄として報じられた。しかし、FBIは彼を容疑者として扱い始めた。リチャードは旧知の弁護士ワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)に救いを求めて・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianは1996年当時、高校生だったので、なんとなくこの事件のことは覚えている。が、それよりも松本サリン事件や地下鉄サリン事件インパクトの方が強かった。どちらにも共通するのは、権力は暴走するということだ。序盤にリチャードとワトソンが出会い、そして別れるシーンが特に印象的だ。ワトソンの言う“Don’t become an asshole.”=「クソ野郎になるな」というのは、クリント・イーストウッドがメディアや警察権力に対して発したいメッセージなのだろう。『 ハドソン川の奇跡 』と本作は、その最も象徴的な作品である。

 

フェイクニュースの時代の萌芽が1990年代に既に見られていたというのは、新鮮な発見だった。こうした風潮は、インターネットの発達を見た2000年代に端を発すると思っていた。メディアスクラムの圧迫感はいつの時代、どの地域でも変わらないことも再確認できた。メディアが欲しているのは英雄でも極悪人でもなく、ニュースそのものであるようだ。終盤にリチャードが言い放つセリフは、そのまま松本サリン事件の冤罪被害者の河野義行氏の言葉と受け取ることもできる。権力に屈してはならないのだ。アメリカでも日本でも、世界のたいていの国では、主権者は国民であって、国家や国家機関ではない。これに関しては、まんまとレバノンへの逃亡を果たしたカルロス・ゴーンに対して法相の森雅子が「無罪を自ら証明せよ」と発言して、日本は“推定有罪”の国だと改めて内外に示したことを思い出してもよらえばよい。権力は暴走する。そして暴走した権力ほど厄介なものはない。『 スノーデン 』でも感じたことだが、権力の暴走に歯止めをかけるのは権力側ではなく、市民・国民側なのだ。そして、そのためには適切な知識も必要である。日本のテレビドラマでは今でも取り調べに弁護士が同席しないことがほとんどのようである。『 まだ結婚できない男 』の何話目かにそんなエピソードがあった。めちゃくちゃである。何かの間違いで警察に引っ張られたら、弁護士の同席および黙秘を主張する。本作からは、あらためてそのことを学ぶことができる。

 

それにしても、主演のポール・ウォルター・ハウザーは『 アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル 』で“But I do.”を繰り返した、薄気味悪い陰謀論男そのままの雰囲気。それゆえに英雄から容疑者に転落していく様が、奇妙に似合っている。劇中でも形容されたように、「下層白人男性」という表現が合っている。White Trashという概念もこの時代に生まれていたのだろうか。はっきり言って、弁護士のアドバイスを実行できないアホなのであるが、それはアホだからではなくナイーブだからである。そのことは、彼とその母ボビの関係から見て取れる。その母を演じたキャシー・ベイツは、圧巻の演技。今すぐアカデミー賞助演女優賞にノミネートしろ、と言いたくなるほどである。特に中盤終わりに記者会見の場で行ったスピーチは、母親という人種の愛の深さを観る者の心に切々と訴えかけてきた。

 

弁護士のワトソンを演じたサム・ロックウェルは、本人には全然似ていない。しかし、情報不足でメディアに揚げ足を取られながらも、自らが見込んだ男を救うために真剣に取り組む様にプロフェッショナリズムを見た。Jovianも最近、弁護士の先生から法的な助言を頂く機会があったが、情報というのは包み隠さず伝えなければならない。医療従事者と法曹相手にはなおさらであると、改めて感じた次第である。喋るなと言われているのにペラペラと喋るリチャードの弁護を降りなかったのは、それだけで尊敬に値する。ないとは思いたいが、本格的に弁護士の力を借りる事態が出来すれば、このような男に依頼したい。

 

ネガティブ・サイド

アトランタ・ジャーナルの女性記者はいったいどこまでが実話なのだろうか。ワトソンの車に勝手に乗り込んだり、FBI捜査官から文字通りの寝技で情報を取ったり、“疑惑”と“事実”と合弁したりと、支離滅裂である。特に、疑惑を事実として報じる姿勢は『 ザ・レポート 』の素人心理学者の言う「彼が真実を言っていない、という真実が明らかになった」という論法と同じである。屁理屈の極みである。その同じ女性が、リチャードの母の魂の演説に心動かされ、改悛の涙で頬を濡らすのは、あまりにも唐突すぎやしないか。もっと丹念にリチャードの周辺を調査したり、今風に言えばファクトチェックを綿密に行ったりする描写がないままに心変わりを見せられても、シラケるだけである。

 

その調査についてもFBIはお粗末の一語に尽きる。公衆電話までの距離や、そこに到達するまでの時間も調査すらしない。普通に考えればリチャードとその母の家の捜索および物品の押収に踏み切るまでに、公衆電話の受話器の指紋の有無や、当日のリチャードの荷物や服装に関する聞き込み、各所にあるはずの防犯カメラの映像のチェックなど、素人ですらパッと考え付く捜査を行わない。少なくともそのような描写はない。FBIから突っ込みが入りそうである。もしくは事実として、これらの捜査は(少なくとも事件の初期段階では)行われていなかったのだろうか。背景に何があったのかが見えないので、メディアやFBIの方針転換が唐突に映ってしまうのが弱点である。

 

日本語版トレイラーにあった、【 最後に明らかになる衝撃の真実とは- 】という煽りは必要か?そういう物語ではないはずだが。

 

総評

繰り返して言うが、権力とは暴走するものである。アメリカの、それも1990年代のことだからと、他人事と思うことなかれ。真実を追わず胡散臭そうな者を追う警察の腐敗した姿勢は、日本に生きる我々も注意せねばならない点である。カタルシスには少々欠けるし、伝記映画として見ても、キャラクターの深掘りが足りない。しかし、ヒューマンドラマとしては立派に成立している。社会派映画としても良作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Give me a holler.

直訳すると「叫び声をよこせ」だが、実際は「呼んで/声かけてね」ぐらいの意味である。『 サイモン・バーチ 』でも、まったく同じセリフが使われているシーンがあった。

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